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パイオニアKURO
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2007.12.17 Monday
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2007.12.17 Monday
お台場の異業種交流会に無料招待いたします!

下記日程で、異業種交流会をお台場で行います。
ダウンタウン松本さんの兄さんをはじめ面白い出演者ばかり。
ニフティのビジネスチームも参加しますので、ぜひとも名刺交換かねて参加ください。

参加希望者は、「異業種交流会参加希望」の件名で
お名前フルネームと希望人数を明記のうえ、
terryueda@gmail.com まで返信願います。
当日の15時まで受け付けいたします。
入場無料(飲食代有料 ファーストドリンク必要 500円〜)で参加いただけます。


________________




2007 12 19 [Wed]
100人の社長シリーズvol.3
恒例!100人の社長シリーズ!第3弾 年忘れお台場異業種交流会! 

Open 18:30 Start 19:30 End 21:30 (予定)
会場:東京カルチャーカルチャー(http://tcc.nifty.com/ )

 ファーストドリンク代(500円〜)は、必要になります。


恒例の社長交流会シリーズ第3弾は、オモシロサービスを提供するオモシロ社長や取締役を迎えて送る年忘れ異業種交流会!
IT関係、証券、ベンチャーキャピタル、出版、医療などなど毎回多業種の交流の場になってますので、お気軽にお越しください。
今回は、人気のベビママ向けサービスを行うヒューマックス株式会社松本隆博氏、オモシロオンライン辞書や社会人に聞いてみよラヂオを行う株式会社マインディアの西小倉宏信氏、鉄拳を手掛けた川村順一氏、噂のイラストコミュニケーションサービス「pixiv」(ピクシブ)を手掛ける片桐 孝憲氏(クルーク株式会社代表取締役社長)がトークゲストとして登場します!
司会進行は、東京IT新聞記者の植田鉄也。


【出演者】
松本隆博(ヒューマックス株式会社取締役) 
西小倉宏信(株式会社マインディア代表取締役) 
川村順一(株式会社デジタルスケープ営業統括本部ビジネスプロデュース事業部ビジネスプロデュースチーム・エグゼクティブプロデューサー/宝塚造形芸術大学教授) 
片桐 孝憲(クルーク株式会社)

【司会】
植田鉄也(東京IT新聞記者)


【出演者プロフィール】
松本隆博(ヒューマックス株式会社取締役)
ヒューマングループと松下電器産業の合弁会社「ヒューマックス株式会社」を運営しながら、最強の素人(ダウンタウン松本人志氏の兄)のキャッチフレーズでミュージシャン「取締役松本隆博」としても活動。
初エッセイ本「松本の兄」、デビューmaxiシングル「尼崎なオカン♪」が発売中。植田が東京IT新聞で行ったインタビューでは、「東京はアウェイですわ。」と。

植田鉄也(東京IT新聞記者/東京カルチャーカルチャー・プロデューサー)
東京IT新聞、インプレスR&Dなどでネット関連記事を200本以上執筆、多くの社長や開発者のインタビューを行う。
テリー植田として東京カルチャーカルチャーのイベントプロデューサーの顔を持つ。
来年の流行語大賞をとるのが目下の夢。

川村順一(株式会社デジタルスケープ営業統括本部ビジネスプロデュース事業部ビジネスプロデュースチーム・エグゼクティブプロデューサー/宝塚造形芸術大学教授)
1988年に株式会社ナムコ入社。「鉄拳」シリーズや「ソウルエッジ」等のビジュアルデザインプロデューサー、ナムコDHゲームラボ部長(事務局長)などを歴任。2002年より2003年まで、台湾最大手のオンラインゲーム会社の日本法人株式会社ガマニアデジタルエンタテイメントジャパン取締役兼開発部長を経て、2003年7月より、株式会社デジタルスケープに勤務。
文化庁メディア芸術祭の企画展のプロデューサーやゲーム甲子園審査員なども務める。
2005年4月より宝塚造形芸術大学教授に就任。

西小倉宏信(株式会社マインディア代表取締役社長)
2007年に関西大学総合情報学部を卒業。
在学中、情報をキーワード形式で保存することにより、キーワード同士が自動的にリンクされる「Wiki」というWebシステムに無限の可能性を感じ、Wikiとブログの良さをかね合わせた「mindia(マインディア)」開発。同年、その開発を本格化させるために「株式会社マインディア」を設立。
ちなみに在学中は「パンデイロ」というブラジルの打楽器を毎週集まってひたすら叩くという「関西パンデイロ振興会」の会長に就任していた。

片桐孝憲(クルーク株式会社 代表取締役社長)
2005年クルーク株式会社を創業。
主にWebアプリケーションの開発を行い、2007年9月よりイラスト特化型SNS「pixiv」の運営を開始。
「pixiv」は開始から2ヶ月で会員数3万人、イラスト数は15万枚を超えている。現在はさらなる発展を目指し、エンジニアと共に開発を続ける日々。
特技はめざまし時計を使わずに起きること。



| テリー植田 | ビジネス | 16:40 | comments(11) | - |
2007.08.03 Friday
パイオニアKURO プレミアプレビュー


「Seeing and Hearing Like Never Before」

昨日行われた(富士ソフト秋葉原ビル5階 AKIBA STUDIO)パイオニア新商品発表会「PONEER PREMIER PREVIEW」に参加してきました。
記者・ライターとしてこういう発表会や記者会見に参加することは仕事柄多いのですが、今回は、いちブロガーとしての参加ということで楽しみにして行ってきました。
もともとDJとして、10年ほどパイノニアのCDJを愛用していたし、近所に家電量販店「コジマ」ができたこともあって、テレビの買い替えをしようとちょうど考えていたところでした。シャープのアクオスにするか、パイオニアのピュアビジョンにするかを迷っています、今。

体験にさきがけて、各界の方からのメッセージ映像が流されました。
映画監督のこだわりを再現するための黒の大切さを訴える映像には、あのスパイク・リー監督(「マルコムX」「DO THE LIGHT THING」)が登場しました。
日本からは、阪本順二監督(「どついたるねん」「亡国のイージス」「新・仁義なき戦い」)などが出演していました。

「このプラズマは、映画の色をしている。現場でやろうとしたことが、見える。」
(阪本順二監督)



イベントのコンセプトであり商品のコンセプトでもあるフレーズがこれ。
「Seeing and Hearing Like Never Before」
観たことも 聴いたこともないもの。

観えなかったものが、観えたとき。
聴けなかったものが、聴けたとき。
感動は、新しい何かに触れたときに生まれる。



開発担当者である板倉氏(27歳)が「プロジェクトX」(NHK)よろしく開発苦労エピソードを語ってくれた。手作りの大きなボックスも用意して。説明は、カミカミでとても場慣れしていない感じが逆に誠実さを感じられた。漆黒の黒を再現するための実験が幾度となく繰り返され完成に至ったようだ。
前機種よりもアンプとスピーカーが大改良され、音質が飛躍的に向上したようで、高い天井から降って来たような、教会のバロック音楽のように聴こえるサウンドはなかなかテレビのスピーカーとは思えないクオリティーになっている。スピーカーは、上、横、正面の3面の立体になっており工夫されている。体験コーナーで中世の戦争映画を観たが、火の玉が飛んでくる音は、逃げたくなるような勢いと迫力で迫ってきた。頭上を飛び越えていくような錯覚になったというのはまったくおおげさでないのは、店頭で体感すると分かってもらえると思います。

音楽映像は、マーカスミラーのベースプレイとリー・リトナーのギタープレイを観ましたが、ピッキングの繊細な音がちゃんと立体的に聴こえましたね。50インチの迫力とデジタルサウンドは最高です。家で、観れたらいいなぁ。

これ、ほしいです。
前機種よりも、黒がより深くなっているために、映画のフレームとなじんで、映画そのものに集中できるようになったのが大きい変更内容でしょう。そして、さらに、映画館で観るよりもより身近で劇場体験ができるシステムになったと思う。

ちなみに、第一号機は、10年前の1997年、長野オリンピックの時にプラズマテレビがパイオニアから発売されたとのことです。10年の進化はすごいです。
やっぱり、前機種と比べると、違いがわかり欲しくなります。市場価格がどれくらいになるかが、僕にとっては一番問題でしょうか。
今、一番欲しいプラズマテレビは、
「パイオニアKURO ホームシアターシステム」に決まりです。

参考記事
http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0708/02/news104.html
| テリー植田 | ビジネス | 13:57 | comments(0) | - |
2004.09.02 Thursday
BIG ISSUEはもう読みましたか?

これがビッグイシュー日本版。毎回有名タレントが表紙。読書

少し前に大阪で珍しい雑誌を路上で購入した。
販売してるのは、どうみても労働者風。
目もあわせず、お辞儀をするばかりの慣れない労働者で気になった。
フリーペーパーでなく、労働者に販売という雇用を与えるという
画期的な雑誌なのであります。ブロスで鴻上尚ニ氏も応援記事書かれてました。拍手

もっと紹介しよう。見る
『ビッグイシュー』は英国で大成功し世界(24の国、50の都市・地域)に広がっている、ホームレスの人しか売り手になれない雑誌。ビッグイシューの使命はホームレスの人たちの救済(チャリティ)ではなく彼らの仕事をつくることにあり。 例えば大阪の野宿生活者の約8割は働いており、過半数の人は仕事をして自立したいと思っています。『ビッグイシュー日本版』は彼らが働くことで収入を得る機会を提供します。具体的に、最初は一冊200円の雑誌を10冊無料で受け取り、この売り上げ2,000円を元手に、以後は定価の45%(90円)で仕入れた雑誌を販売、55%(110円)を販売者の収入とする。お金

新宿駅西口でも最近販売がはじまったようで、非常に企業努力を感じる。
しかし、内容はまだまだなようだ。
提携している海外の『ビッグイシュー』の有名タレント・インタビュー記事も掲載されたりもするが、もっと日本的なアプローチがあってしかり。
もっと地域に根ざした問題と情報提供をやったほうが読み手にぐっとくる。
もっとリアルであってほしい。マスコミのプロモーションの一端の媒体に
なりさがっては絶対いけない、そんな気がする。!


以下は、読み応えある『ビッグイシュー』の成り立ちのストーリーである。
『ビッグイシュー』HPからの抜粋。読書

「ビッグイシュー」は
ビッグイシューの始まりは、国際的な化粧品会社ボディショップの創設者であるゴードン・ロディック氏が、ニューヨークでホームレスの売るストリート新聞を見かけたことだった。彼は、古い友人で後に『ビッグイシュー』の創始者となるジョン・バード氏に市場調査を依頼し、バード氏はビジネスとしてならロンドンで十分成立するという結論を出した。

 ホームレスの人の表現活動に重きをおく雑誌ではなく、誰もが買い続けたくなる魅力的な雑誌をつくり、ホームレスの人たちにはその雑誌の販売に従事してもらうというポリシーで、1991年にバード氏はロンドンで『ビッグイシュー』を創刊した。その結果、大成功を収めた。

 続いて1992年に『ビッグイシュー・ノース』、1993年に『ビッグイシュー・スコットランド』が発刊された。さらに、ホームレス問題が国際的な問題であるとの認識から、1993年にはビッグイシュー・ロンドンが中心となりインターナショナル・ネットワーク・オブ・ストリートペーパーズ(INSP)を創設した。現在INSPの事務局はスコットランドにあり、世界各地から50以上のホームレス問題に取り組むストリートペーパーが加入。その発行部数をまとめると、年間2,500万部発行されている計算になるという。
(www.street-papers.com)*英語

ジョン・バードと『ビッグイシュー』の誕生 
ゴードン・ロディックとのパートナーシップ

 1967年の冬、ジョン・バードとゴードン・ロディックはエジンバラの酒場で出会った。詩人だった二人は詩の話で盛り上がり、たちまち仲良くなった。1990年の6月、ボディショップの会長となっていたロディックは、ニューヨークで『ストリート・ニュース』という新聞をホームレスの人から買った。それに感銘を受けたロディックは、自社のファウンデーションにロンドンでの可能性についての調査をさせた。その結果はノー、だった。

 1991年の3月、ストリートペーパーの可能性を信じるロディックはバードにやらないかと持ちかけた。チャリティ嫌いのバードは言った。「なんで俺がそんなチャリティをやらなくちゃならないんだ」「誰が、チャリティって言った?」。そこで、バードはビジネスとして可能かどうか、を調査をした。ロディックは「彼を100パーセント信頼していた。もし、ストリートペーパーを実現できる人間がいるとしたら、それはジョンしかいない、と思っていた」と語る。バードは見事にその期待に応えた。

ジョン・バードとホームレス
「物乞いをするくらいなら、何でもする」

 ジョン・バードは1946年、ロンドン西部のノッティンヒルで生まれた。アイルランド出身でカトリックの母とプロテスタントの父のもとでカトリック教徒として育てられる。

 いまではおしゃれな、ハリウッド映画の舞台ともなった、ノッティンヒルだが、当時は貧しい労働者のまちだった。彼の家族も貧しく、兄弟4人が孤児院に預けられたこともあるという。彼は路上生活をしたり、少年院に入っていたこともあったらしい。さまざまな職業を転々とした後、印刷技術を身につけ、自分で印刷や出版を始める。


 1991年にゴードン・ロデックから調査を依頼された時、彼はとりあえずホームレスの人々と話すことからはじめた。その頃、路上生活者や物乞いをする人々の数が増え、大きな社会問題となっていた。ある日20歳くらいのホームレスの青年にストリートペーパーの話をし、意見を聞くと「売ることかい?物乞いに比べりゃ、何だっていいよ」と言った。その一言が彼にスローガンを与えた。「物乞いをするくらいなら、何でもする」。ホームレスの人々は怠け者で自ら進んで物乞いをしている、と言う人々に突きつけてやれるスローガンだった。

ジョン・バードの考え――仕事は平等への一番のツール

 カトリック教徒として生まれ、若い頃は社会主義革命運動に参加したバードだが、ビッグイシューによって社会的企業(ソーシャルエンタープライズ)の先駆的モデルをつくり、その功績は英国政府や王室によっても高く評価されるようになっている。

 ビジネスの手法を使うが、その利益は社会文化を変えるために使う、と彼は言う。人々が「政府からの援助を受けるのはまるで最悪のホテルにチェックインするようなもの」で、政府の限界は「皆に同じように与える」ということだという。それによっていくらかの人々を助けることができるが、ほとんどの人々は同じ所にとどまるか、より悪い状態におちてしまう。そして自分に責任の持てない人間をつくり出す、と彼は言う。長い間社会的に排除され、無視されてきたホームレスの人々は社会参加の意欲も意識も低下しており、家だけを与えても問題の解決にはならないとも言う。

 ビッグイシューの基本アイディアは、セルフヘルプだとバードは言う。人は自分で成し遂げたという達成感によって自信を得、前向きに生きる力を得る、仕事は人々に平等を与える一番のツールだと言う。彼は自身をも振り返りながら、問題の一部となったものが問題の解決策を担う、とうのがビッグイシューの考え方であると語っている。

※社会的企業(ソーシャル・エンタープライズ):ビジネスの戦略を用いて社会的な病弊と戦う、新しい種類のダイナミックな起業家による組織。

ビッグイシューのHPはこちら。
http://www.bigissuejapan.com/index.html
| テリー植田 | ビジネス | 12:10 | comments(0) | trackbacks(0) |