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2006.03.31 Friday
杉作J太郎、吠える。
高円寺フリーペーパーSHOW-OFFでのインタビュー完全収録版です。

______________________________


杉作J太郎、映画業界に殴り込み!!
「男の墓場プロって言って、映画は死んだつもりでやっている。何の可能性もないですよ、未来の。」


満員御礼につき追加上映が決まった初監督映画作品と大爆笑の上京物語をうかがいました!!(インタビュー&テキスト:テリー植田
tape rewright:marrow


テ:Jさんの上京物語から聞いていいですか?
J:いいですよ。
テ:そもそも、愛媛ですよね。松山ですよね?
J:そうです。
テ:そこから大学を出られて・・
J:大学に入る時に出てきたんです。高校卒業して、それで出てきた。
テ:最初住んだ所はどちらですか?
J:最初住んだ所は桜新町。世田谷の。田園都市線ですよ。
テ:駒大ですよね。
J:そうです。あのー、学校に歩いて帰れるとこがいいかなと思ってね。表参道のシナリオセンターにも通ってたんですよ。だから、その両方考えて学校が近いとこと表参道まで一本で行けるとこ。それで桜新町にした。
テ:漫画描かれてたじゃないですか。それはどこから始まるんですか?
J:学生の時だけど、最初から漫画やってたわけじゃなくて。まぁ最初の頃はねずっと8ミリ映画やってたんですよ。
テ:映画が先なんですね。
J:そう、そんでキャスティング最初友達だったんですけど、ゴージャスにする為には自分も芸能界とか入った方がいいのかなと思いまして。その当時お笑いブームが始まった年だったんで、アルバイト。まぁ当時ね今と違ってバイト料安かったんで。今アルバイトで食える時代でしょう?昔はアルバイトだけで食おうと思ったら、アルバイト年がら年中やってないとたぶん食えない。だって俺がそのバイトしてた頃時給280円でしたからね。
テ:マジっすか(笑)それ何のバイトだったんですか。
J:トラックの横乗りが時給280円でしたから。やっぱりね率悪いわけですよ。何か職業始めた方がいいなと思って、ちょうどお笑いブームでしたから、よし漫才師になろうと。それで友達とコンビ組んで『笑ってる場合ですよ』という番組に出たんですよ。
テ:『笑っていいとも!』の前身番組ですよね。
J:そしたらね、横澤さん(当時フジテレビのプロデューサーで現東京吉本興業社長)がね。受けに来た人がね冗談抜きで2、300人いたのかな。その中でバンバン次から次にやってくんですけど、やって終わった後にね横澤さんが僕らのとこに来ましてね。「君たち名前何ていうの?」「これこれこうです」「なかなか君たちおもしろいよ、期待してるから」これはすごい事だぞおいって。本腰入れてやるかって。まず合格はしましたんで、本選が2日後くらいだったかな。それで一生懸命練習して、放送の前の晩はほとんど深夜まで。全国に10人審査員がいて、電話がかかってくる。10人のうち7人かかってきたら合格。1日目があまりうまくいかなくて、コントだったんですけど、7点だったんですよ。ギリギリで合格。何とか合格できて良かった、2日目頑張ろうと。2日目もそのまま新宿残って終電まで練習して。次の日が司会がツービート(ビートたけしの漫才コンビ)だったです。そしたら本番前に、もういよいよ始まるぞっていう直前くらいに、アルタの出番待つ奥の裏の部屋があったんですよ。そこにいたらいきなりその部屋にたけしさんが入ってきたんですよ。
テ:すごいですねぇ〜。
J:俺もたけしさん大好きでしたけど、俺の相方もたけしさん大好きで。うわ〜たけしさんだと思って。たけしさんが座ってきて、窓の外を見ながら一人でぶつぶつ喋ってんですよ。うわ〜ここで何て言えばいいんだろうと思いますよね、狭い部屋でしたから。そしたらたけしさんが、しばらく1分も経たないくらいかなぁ、部屋から出て行ったんですけど、出ていく前に『がんばれよ。』って言ってくれたんですよ。それでもうね、俺も嬉しかったけど俺の相方が嬉しすぎて、変な話ですけど俺の相方にしてみたら目的が終わっちゃったんですよ。
テ:横澤さんの次がたけしさんですもんね。(笑)
J:それで本番始まったらね、コントだったんですけど、僕が親父の役で相方が息子の役で。俺の言葉から始まるんですけど、生放送が始まったら相方がセリフ全部忘れたんですよ。
テ:やっちゃいましたね(笑)
J:コントでおまけに素人だしね。これからって感じだからまだノウハウもないじゃないですか。相方がセリフ忘れた時にどうしていいかがこっちも分からないわけですよ。それを誘うようなセリフを思いつけばいいんだけど、こっちも思いつかないわけですよ。もう完全に止まっちゃったんですよ。番組始まって最初のコーナーだったのかな、ちょっと覚えてないんですけどフロアディレクターがね、テレビで見たことある有名な人でしたよ。その人がすっごい怖い顔して。客席も静まり返ってるんですよ。俺が相方に『何か言う事あるだろ』って言うんですよ。そしたら一番最後のひとこと言っちゃったんですよ。コント全部すっ飛ばした一番最後のひとこと。俺、これはヤバイと思って。まだコント始めて何十秒か一分くらいしか経ってないのにケツの言葉言っちゃって。違うだろ、ってお前が言いたいことはこういう事じゃないのか、ってようやく相手のセリフを誘導する事ができて。でも時すでに遅しですよ。もう最後までやらせてもらえたのかやらせてもらえなかったのか覚えてないです。場内静まり返ってますからねぇ。



テ:怖いですねぇ。
J:そしたら、たけしさんが「やったー!」って出てきて、「ビリ決定!」って言って。ようやくそれで会場の空気戻ったんでしょうね。ビートきよしさんが「やめなさい」って。「何言ってんっだ、ビリまったよー、めでたいんだから。」って言ったらきよしさんが「やめなさい、かわいそうなんだから。」って。電話もやっぱり一本もかかって来なかった。裏に帰って「うわー、これはヤバイ事になった。。。」ってもうドヘコミでね。怒られるし何もかも終わったと思って裏に帰ったら、出演するタレントさん達が待ってるんですけど、高田純二さんが涙流して笑ってました。テ:最高ですね、高田純二さん!(笑)
J:高田純二さんが涙流して笑ってたのは覚えてる。その後ろで他の東京乾電池のみなさんは普通にしてたんですけど、まぁ今思えばその後にね、つい数年前まで東京乾電池にお世話になってましたんで、奇遇な感じでしたけど。20年位後に蛭子(能収)さんの紹介で東京乾電池に入るとは思わなかったけど。それが終わった後ね、もうこれはダメだと思って。お笑いは向いてないと思って。これ以上無残なね、生放送で人が見てるわけですから、そんな素人いないわけですよ。出てってセリフが一言も出てこないような。見たことないでしょ、そんな新人。
テ:いないっすね(笑)
J:それで僕はちょうどね、半年位前から漫画をね、もともとガロだったんですけど、つげ(義春)さんの影響で漫画をスケッチブックに描いたのがあって。それはどこに見せる訳でもなくてスケッチブックに描いてただけだったんですよ、暇で暇で。10ページくらいあったんで、まぁやけくそだと思って出版社に持ってった。そしたらそれが採用されて、もちろん下手だから使えないんですけど、じゃあ漫画描いてみるかって。「2,3ヵ月後に締め切り設けるから、それまでに一本描いてきなさい。増刊号で使ってあげよう。」ってい
うのがね……なんの話だっけ?これ?
テ:(笑)
J:すいません、寝起きでね…
テ:全然大丈夫ですよ(笑)
J:失礼しました。
テ:映画に行くまでのストーリーです(笑)
J:今朝ね、10時くらいまで編集やってて、さっき起きたからちょっとボーっとしてるんだよね…。すいませんでした。
テ:でも当時ガロでお呼びがかかったんですよね?
J:いやいや、ガロではお呼びはかかってないですよ。最初持って言ったのがタツミ出版で、なんでタツミ出版に持ってったかっていったら、ガロでは無理だって俺もわかってたんですよ。じゃあガロでは無理で、なんでタツミ出版だったら大丈夫かって言うとこれ問題発言かもしれないけど、そういうことじゃなくて。
テ:はい(笑)
J:やっぱりあれですよ。タツミ出版は山ほど本があるし。あとはまぁ持っていきやすかったんだね。当時会社が靖国神社のところにありましたから。採用してもらえると思って持っていってないんだから。花園神社の隣にあって、それが行きやすいのと、ちょうど「笑ってる場合ですよ」の練習を花園神社でやってたんで、それの隣にあるのがその時わかったんですよ。それをタツミ出版に持ってったら採用されたから、「あれ?ひょっとしたらいけるのかな?」と思って。それで次の日かその次の日に、今度はナガイさんにボロクソ言われてもう。「君は絵がなってない。」って。もちろんそれはタツミ出版でも言われたんだけど、ナガイさんにボロクソ言われたショックでヘコんで、原付で行ったんですけども、ヘコんで帰ってるもんだから帰りにキップは切られるし、もう踏んだり蹴ったりでね。もうやってられないと。その時にタツミ出版の人に「君だったら、うちよりもそっちがいいと思うよ。」って編集プロダクションを紹介された。それ思い出して、スケッチブック持って帰るの気分悪くて、ダメだ俺はと思って、そこに置いて帰ろうと思った。それが四谷三
丁目…いや違う、新宿の辺りだ。ちょうど帰り道だから、そこに預けて帰ろうと。で、電話したら、今誰もいないけどって言ってて、アルバイトの人がいたから「置いて帰っていいですか?」って聞いたら「別に構いませんけど。」って言って。ピンポーンってやったら女の人が出てくるから、「すいません、これ預けていきます。」って。それで帰ってきたんですよ。それで、ダメだなぁってヘコんでね、それが最初ですよ。そっからがなしのつぶてなんです。しばらくの間見たくもないって放っておいたんだけど。まぁナガイさんって人は厳しいですからね。それぐらい酷評されたんですけど、時が経ったらやっぱり、せっかく自分が最初から採用されると思って描いてた訳じゃなくて、ほんとに趣味で描いてたやつだったから、返してもらおうと思って。やっぱりあれは返してもらわないと困るなと。
テ:それでまた行った訳ですね。
J:取りに行ったんですよ。今と違って携帯電話もないしね、固定電話しかない時代だし。電話してから行けばよかったんだけどいきなり取りに行ったんですよ。だって電話するほど親しい訳でもないですから、アルバイトの人しか知らないんだから。回収しようと思って。ピンポーンって押してね、「すみません。何ヶ月か前に漫画預けたものなんですけど、返してもらえますか?」って言ったらそしたらね、「あぁ、本になってるよ。」って言ったのがね(笑)去年かおととしに出た本の版元のマガジンファイブのカンノさんって人ですよ。そのカンノさんって人が出てきて、あぁ、本になってるよって言うから、えーちょっと待ってと思って。なんの断りもなくですよ(笑)なんで教えてくれないんだ!って思って(笑)
テ:そうですよね(笑)
J:「本になってるよ。持って帰る、本?」って。
テ:スケッチブックが本になってるんですもんね。
J:自販機本になってた。「ギャラも出てるけどいる?」って言われて(笑)それでお金もらって帰ったんです。
テ:あ、ちゃんともらえたんですね。
J:何ページだったか覚えてないですけど、12000円もらってね。当時のアルバイトの感覚で言うとね、ありえないぐらいの高金額なんですよ。だって時給280円の時代ですから。一日10時間労働で2800円ですよ。それの12000円だから。一日10時間労働ってことはないと思うし。だから結構な金額ですよ。これはね素敵な商売じゃないかと思って。その自販機本っていうのも、最初自販機本にのるためにやった訳じゃないですけど…また当時、自販機本っていうのも流行ってましてね。僕が書いてた…そこは自販機本が出してた。そこに書いてたのは蛭子さんとかね、渡辺和博さんとか。あと僕とデビューがほぼ同期になるんですけど、僕が自販機本で仕事しだした頃には桜沢エリカとかね、岡崎京子とか描いてましたから。
テ:あぁすごいですね〜。そうそうたる面子ですね。
J:今自販機本といっても、今のエロ本とかの感覚とは若干違うよね。だからエロ本という感覚が今の人とは若干違うと思う。今適当に喋ってましたけどね、僕の友達なんかもエロ本、エロ本って言うけどね…。今のエロ本でヌけないエロ以外の記事が半分以上あるっていうのは信じられないだろうしね。
テ:あぁ…ないですよね。
J:昔はカラーページと一部の記事を除いたら、後は全部編集者の趣味で作ったような、編集者一人に本一冊っていう時代でね。だから編集者のやりたいように、編集長の好きな漫画を集めてこられる訳ですよ。だから今思うとエロ本のバブルとかいうのじゃなくて、本を出せば売れてっていう時代だったんでしょうね。女の裸さえ巻頭に載せとけば、中は何が載ってても誰も文句言わない。あと…あれもあったんだ。名盤解放同盟もありましたから。根本さん、湯浅さん、船橋さん…湯浅さんや船橋さんと知り合ったのも自販機本ですよ。
テ:なるほどね。
J:その自販機本が昔、池袋にあったアリス出版から出したんですけど。アリス出版で自販機本のそこから紹介されて今度、アリスの仕事をやった時に、湯浅さんや船橋さんに初めてあったのは多分アリスですよ。そのころは名盤解放同盟といっても今と違いますからね。発足したての頃ですから、名盤解放同盟を聴きにセレクションの会とかに湯浅さんの家によく行きました、当時ね。今からもう…大昔ですよ。前世紀の話ですよ(笑)前世紀っていうか、俺の代じゃないぐらい過去の話ですよね。自分のことだと思って話せないんだけど。事実として覚えてるだけで。
テ:そっか、そういう繋がりがすごいですね。自販機本で始まった…
J:その頃の知り合いがその辺の人たちですよ。桜沢エリカとかね、蛭子さんとか、根本さん。
テ:お付き合いが長いんですね。
J:蛭子さんや根本さんは長いね。ほんとに長いですよね。あと長いっていったら、石川次郎さんも長いね。
テ:あ、本当ですか?
J:石川さんはね、雑誌とか漫画とかが大好きなんですよね。出版されてるものには全部目を通さなきゃいやだっていうちょっと変わった人ですから。ある日ね、お呼びがかかったんですよ。アシスタントのハダミチトシって人がいて。ハダくんがね、僕が一番最初に置いて帰って本になったところで彼も漫画描いてた。当時は今と違ってファックスとかバイク便とかないから、必ず本人がいて渡さなきゃならない。編集者一人しかいないから、編集者がみんなの家に回って集めるってことはできないから。結局いつも僕らが持っていくシステムなんですよね。だから今の時代と圧倒的に違うのは、作家とかカメラマンとかが全部編集部に集まるから、すぐ顔なじみになる訳ですよ。おんなじところに描いてるもの同志が。そしたら石川さんが俺の漫画を見てね、「こんな下手な漫画を描く奴はいない。」って思ったらしいんですよ。とにかくどんな奴が描いてるんだ?と。石川さんはびっくりしたはずですよ。絵心がない人間が描いてんだから。漫画家になるつもりもなかった人間が、「笑ってる場合ですよ」で0点になったヤケクソで、持ってったらそのまま使われて描いてるだけなんですよ(笑)
テ:(笑)
J:それで石川さんが「会いたい。」って言ってるって。ハダくんに「来てくれん?」って言われて。だから石川さんに会ったのもほんとに大昔だよね。デビューして直後ですよ。デビューして一、二ヶ月後には石川さんのところに呼ばれてね。
テ:石川さんのことはご存知だったんですか?
J:石川さんのことは知ってましたよ。だって当時少年誌とかでね、漫画描いてましたから。本人に会ってびっくりしたのは、少年誌に出てくる自分のキャラクターはね、三頭身だけど、本人に会ってみたら180ぐらいあるから、漫画っていうのはなんてウソツキなんだと思ってね(笑)それも漫画と全然顔が違うんだから(笑)当時まだ石川さんは40歳ぐらいだったから…まだそんなにはいってないか…今より全然若いですから。イケメンみたいな人ですから、あー卑怯な人だなと思ってね。…それから石川さんにもずいぶんお世話になったんだよなぁ。「下手だから話になんないけど、これは売り出さないと君はどうにもならないよ。」っていうんでね、ずいぶん売り出しの作戦を考えてくれたんだよなぁ。
テ:へぇ〜。すごいですよね。
J:当時石川さんが宝島で連載やってて、その中で宣伝したほうがいいっていうんでね。毎月ね俺にね、三分の一ページくらいくれるんですよ。そこで勝手に宣伝描いてましたね。「原稿料をやるわけにはいかないけど、その代わり自分の宣伝スペースだと思って使っていいから。」っいうんでね。これは…何描いてたのかあんまり覚えてもないんですけどね。それしばらくやりましたね。その当時は吉祥寺まで…であの…なんの話だっけ?これ?
テ:(笑)
J:失礼しました。
テ:全然大丈夫ですよ(笑)そのあと平凡パンチとかもされるんでしょう?編集やったりとか…
J:すいませんね、一個一個の話が長くなってない?
テ:いえいえ全然大丈夫です。



J:だから…バイトの話して、それで漫画家になったっていう話したんですよね。
テ:そうですね。
J:それで漫画家でね今度は食えなくなってくるんですよ。一時期は50枚くらい描いてたんですけど、やっぱり下手ですから、気がついたら仕事がどんどんなくなってるんですよ。その頃にはね、ガロでもう漫画描いてたんですよ。若干上手になりましたから。ほんとね…毎日毎日描いてましたから若干、画力は上達して。あとやっぱりナガイさんに言われたアドバイスというのが…僕はほんとね、言われたら絶対それを直すクセはついてますんで。ナガイさんに言われたのは、線と線がくっついてないって言われたんですよ全部。だから
これは守らなきゃいけないと思ってね、線と線が閉じるようにしたんです。当時、それを一番ナガイさんに厳しく言われたんですけど、他にも言われたことがいくつかあったんでそれは守って。そしたらそれをナガイさんにもう一回持ってったら、「前に注意してきたことは直ってる。じゃあ預かっておきましょう。」と。それでガロでも当時載ってたんだけど、今度は逆に仕事がなくなってきちゃたんですよね。まぁエロ漫画の仕事がほとんどでしたからね。もちろん尺の短い3ページぐらいのものも描いてたんですけど、エロが出てくる漫画も描いてたんです。ところがこれが絵が下手だからね、女なんて描ける訳がない。無謀にも描いてたのと、おまけにその時は童貞でしたから。童貞でエロ漫画描くって自体がありえない話だったんですよ。バレたらおしまいだと思ってるから、バレたら絶対採用してくれないし、使ってもらえないのはわかってるから、もう一生懸命ごまかしごまかしね、やったことないけどそれを想像して描いてた。
テ:過酷な状況ですねぇ。
J:おまけに今と違ってAVもないわけだから、本番ったって見たことないわけですよ。人がやってるとこなんか。ピンク映画は死ぬほど見てましたけど。ピンク、ポルノは死ぬほど見てたけど、肝心なとこは全部ぼかしてるし、おまけに本当にやってるわけじゃないし。向こうも雰囲気でやってる訳でしょう?向こうも童貞や処女がやってるかもしれないんだから。それを見てまたこっちは…。それで食えなくなったときに文章を書きだしたんですよ。雑誌やエロ本の人とね、カンノさんがね、「もう君は漫画はダメかもしれない」なんて。でも「文章書いてみたら?」っていうんで。文章なんか書いてなんとかなるもんかなぁと思ったんだけど。なんとかなるっていうのは自分が使い物になるか?ってことですよ。考えたことなかったですから、そっちは。…でもまぁ何事も経験だからやってみようと思って。エロ本でコラム書いてたら、平凡パンチの編集者の人が、「面白いから使いたい。」って電話がかかってきて。それで最初は普通の活版記事みたいなのを2,3本やったんですかねぇ。それやったことない仕事ですから、原稿書くって仕事がね。活版で3ページ4ページの特集をやれっていってもね、やったことないからこれはわからないんだよ。…それを何回かやって、おまけに漫画描いたりとか、イラストの仕事もたまーにあったりしてっていうのを半年もない…何ヶ月か続けてたら。。。いや、違うなぁ…。これ昔すぎるから順番が入れ違ってますけど、最初ね…そうだそうだ。最初は連載しませんか?ってきたんだ。エロ本でやってたような1ページのコラムを連載しませんかって話が来て、連載を始めたんだ。それで連載を始めてる間に、4ページくらいの特集記事も書いてみないか、こっちのほうが率がいいからって。それでそっちもやってたのね。当時はファックスがまだない
ですから、さっき言ったようなシステムで、原稿用紙書いたら、その原稿を持っていかなきゃいけないんですよ。東銀座まで。それで週に一回それを持って行く、あと活版記事があったら持って行く、打ち合わせがあったら銀座まで行く、イラストが上がったら行く。もう週に何回も何回も。だから当時は変わった時代ですよ。どこの出版社の仕事だろうが、俺みたいな売れてない作家は取りに来てくれるわけじゃないから。とにかくね、そこで仕事が始まるとね、しょっちゅうそこに行かなきゃいけなくなるんですよ。週刊誌だったから。週刊誌何回か行ってたわけでしょう。行っては預けて、行っては預けて。そうこうしてる間に編集長が「そんなだったら、毎日来て座ってろ。デスクがあるから。」って。
テ:おぉ、すごいですね。
J:デスクでガロの漫画描いてていいっていうんで。それでも金やるよって言うから、あぁじゃあ来ようかなって思って。まぁそれがパンチの仕事の始まり。だからパンチは仕事っていうよりもね、変わった編集長でしたから。…デスクをもらって、飯代も経費で食えるし、いいことずくめだぜって編集長に言われて。それでパンチの編集部の中に仕事場もらったって感じでした。
テ:VIPじゃないですか?(笑)
J:まぁそういう時代だったんだよねぇ。別に向こうは俺が欲しくてたまらない訳じゃないんだけど。時代ですよ。変わった編集長だったんですよ。武智鉄二の甥っこさんでね。他に描いてた漫画家も、蛭子さん、根本さん、シモダさん…。当時まだ、週間プレイボーイVS平凡パンチみたいな図式が明確な時代だったんですけど、全く変わった目線でしたよね。カメラマンなんかもね、ヌードグラビアなんかは週間プレイボーイは綺麗なグラビアが載るんだけど、パンチのグラビアは荒木さんにナガハマさんっていう、男の世界!みた
いなね。ちょっと変わった男らしさ炸裂のエロ本はエロ本でも女性に媚びない、ド硬派な雑誌だったですよね。
テ:そうですよねぇ。
J:ナガハマさんがヌード撮るったってそれ、結局真っ暗で何が映ってるかわからなかったりするんだから(笑)
テ:(笑)パンチの時代は長かったんですか?籍を置いてる時代は…
J:パンチは3年半くらいだったんじゃないですかねぇ。
テ:長いですよね。



J:時間的に言うと、平凡パンチやるまでは…エロ本やり始めたころは他のバイトよりも率がよくてね、就職するよりもお金が良くて、景気のよかった時代ですよ。それで後期は仕事が全くなくなって、ガロしかなくなっちゃって、どうやって生きていけばいいだろうっていう時代ですよ。その後は平凡パンチが始まってからは忙しすぎてね、なんていうんだろう…プライベートのなくなった3年半。プライベート=仕事現場でしたから。
テ:じゃあ、ずっとそこに寝泊りしてるみたいな状態ですか?
J:もうまさにそれですよ。自由な時間なんか本当になかった。友達と遊びに行こうにも友達がいなくなっちゃった。友達と会う時間がないんだもん。仲のいい友達がいたんですよ。仲のいい友達でもね、編集部で会わなきゃいけないんだよ。
テ:呼んで?(笑)
J:だから友達をモデルにしちゃってね。友達に仕事を発注してましたよ。会社員の友達に。そいつは最後の頃、編集部に普通に出入りしてました。モデルとして(笑)
テ:すごいですね(笑)
J:だって時間がないんだもん。最終的には廃刊になる訳ですけど、あれ廃刊になってなかったら人生どうなってたんだろうと思うんですよね。
テ:へぇ。その3年半は何歳から何歳ぐらいですか?
J:25,6から28,9ぐらいまで。それで最終的に雑誌が廃刊になって半年休みがあって、パンチザウルスっていう漫画雑誌になって復活して、それがすぐ廃刊になってそれで完全に廃刊ですから。やっぱり3,4年あったんじゃないですかね。さっき言った、なんでデスクもらっていいなって思ったかというとね、週刊誌だからいろんな人が出る雑誌じゃないですか。それで取材とかで会いたい人に会っていいって言うんですよ、編集長が。俺、多分映画の話をしてたと思うんだよなぁ。そうそう、映画の話をね当時よくしてましたから、出演してもらう時に知り合いになって、もう今から出演者を当たっとこうと思って。それで当時知り合いになったのが、飯島洋一さんですよ。今回の主演のね。
テ:へぇ〜。そっから会ってるんですね。
J:そうそう。その時にね、当時飯島さんが「戦争の犬たち」っていう超大作戦争映画作ったその後で、ちょっとどこにいるのかわからなくなってる状態だったので、一生懸命飯島さんの消息捜してようやく見つかって、銀座で会って、「いま僕、平凡パンチの編集部にいるんです。」って言ったら「パンチにいるのかぁ。」って話になって。「ちょっとパンチに行ってもいいか!?」って言うから「いやいいですけど…」って言って「知り合いいるんだよ。」って。えぇ〜!?一生懸命捜したのに知り合いいるんだーと思って。それで編集部に行ったら、ほとんどの人が知り合いでした。「よぉ飯島!お前なにやってんだ?」って言ってて、「いやいやこの人が会いたいっていうからさぁ」って言うから「え?飯島さんと知り合いなんですか?」「おう。毎週ラグビーやってるんだよ。」って言うから、おいおい、編集部の人に聞けばよかったと思って(笑)編集部の人と同じラグビーチームの選手だったんですよ、飯島さん(笑)
テ:すごい(笑)じゃあその時から飯島さんでいつかは、って思ってた訳ですか?
J:もちろんそれはありましたよね。ただ、いつの話になるかはわかんないけど。当時はまだそんな大それたねぇ、飯島さんでいつか自分が撮るとかいうよりも、まぁ準備ではないけど…。当時飯島さんとかね、そう思っていろんな人に会ってましたよ、捜し出して。仕事で会うときでも出てもらいたい人に率先して頼むわけですよ。例えばあとね、この人には出てもらわなきゃと思って、一生懸命取材とかある度に行ってたのは、吉田照美さんですよ。あの顔と雰囲気は面白いだろうと思ってね。あとストロング金剛さんとかね。ストロング小林さんも当時よく会いに行ったなぁ。あとは…宇宙刑事ギャバンやってた大葉
健二さんとかね。
テ:おぉ〜。ギャバン見てましたねぇ。
J:なんとか大場さんに出てもらうことはないかって思ったけど、なかなかない訳ですよ平凡パンチで。最初はサバイバル特集ってのがあって、デスクがサバイバル対談やりたいっていうんですよ。誰かサバイバルに詳しい人いねぇかな?って言うから、普通に考えたら柘植久慶さんみたいな人がいいんだけど、それはどこでも一緒だから。平凡パンチは当時の編集長が、よそと違う変わったことをやらないと意味ないっていう人だったから、誰かよそで使ってない人いないか?って言うから、「大場健二さんなんかどうですかね!?」って言ったら「大葉健二さんってなんの人?」って言うから「ジャパンアクションクラブの人で、多分サバイバルとか経験してると思うんですよね。」なんて言って。対談だから「もう一人の相手は?」って言うから「筋肉漫談のぶるうたすさんなんかどうですかね?」「その人はサバイバルできるの?」ってうから「あれだけ身体に筋肉がついてるってことは、サバイバルの特訓してるんじゃないですかね!?」って言ったら
テ:両方ともおそらくですね(笑)
杉:デスクが「いいじゃなぁ〜〜〜〜〜〜い!!」って言ったんですよ(笑)
テ:(笑)
J:そういう優しい現場でしたから。その次に大場さんに頼んだのは、女子大生が作る平凡パンチっていうのがあったんですよ。実際は女子大生が作ってるわけじゃないんだけど、女子大生達が編集部をジャックしたっていう触れ込みでね。女子大生が全部、企画立案して進めた号です、僕達がそのお手伝いをします、と。その号があった時に、女子大生が今一番興味ある人は?っていうんで。その人たちに女子大生たちが会いに行くっていう。これは大葉健二だろうと思って(笑)
テ:すごいな、それ(笑)
J:そんでキャップに聞いたら「いいじゃなぁ〜〜〜〜〜い!!」って言うから(笑)それ
で女の子達はしらなーいって言うんだけど、「いや絶対会っといたほうがいいから。」って言って。「真田広之さんもいますよ。」って言ったら「真田さんいるんだったら行きたい!」なんて言ってて。それで騙して連れて行ったのが大葉さんのとこですよ。
テ:ギャバン。見てましたよ〜
J:ちょうどね、渋谷の駅前にジャックピットっていうね、ジャパンアクションクラブの飲み屋がオープンしてね、そこに女子大生を連れて行ってね、女子大生3〜4人連れてったのかなぁ。そんで大葉健二さんを始め、真田広之さん、志穂美悦子さんね。みなさんがお店の店員をやってる店なんです。
テ:マジっすか!?いるんですか、みんな?
J:初日だったから特にみんないました。千葉ちゃんもいて。そしたらガイラー将軍っていうのがいたんですよね。ギャバンの時の。ガイラー将軍がいたんだよー、ロビーに。これが顔が怖いんだ!ガイラー将軍が。そしたらもう女子大生たちがみんなビビっちゃってるのガイラー将軍見て。もうね震えてんのガイラー将軍見て。ガイラーさんが女の子達に震えられて、意味わかんないから睨んだりしてるんだよね。もう取材がブチ壊しになったのを僕はよく覚えてますよ。ガイラー将軍が怖すぎて。別に怖い人じゃないんですけど、顔が怖いんだよね。
テ:すごいなぁ。でもいつか映画を撮りたいっていうのは東映映画みたいな、ああいうやつを撮りたいっていうのがすでにあったんですか?
J:思ってました思ってました。だからもう東映の人たちとも当時から仲良くしていましたしね。あとホソヤさんっていうね、プロデューサーがいるんですけど、その人ともその頃からですね。
テ:そうですか。東映の太秦で僕ずっとバイトしてたです。学生時代。
J:だからまだ東映の撮影所とかには行ってないけど、当時思ってたのはね、僕がシナリオ学校に行ってる頃は、映画界っていうのは超狭き門な訳ですよね。とてもじゃないけどね、コネのない人とかは入社できない会社ですよ。例えば、僕よりもだいぶ年が下の東映の人もいるけど、その人なんかに聞いたらやっぱり推薦状がいるんだよね。まぁみんながいるかどうかはわかりませんけど。「推薦人誰なの?」って聞いたら「深作欣二と鈴木清順だ。」って言うから。そういう人じゃないと取らないんだから!
テ:(笑)
J:それは入れないだろう〜普通の人は!
テ:それ普通じゃないですもんね。
J:結局はね、なんで飯島さんをそうやって捜し出したっていうと、飯島さんは自分がプロデューサーでお金集めて、自分で映画撮った人だから、戦争映画をね。何千万かけて。俺も自分で作るしかないって当時からわかってたんですよ。撮影所なんか入れるもんじゃないと思って。やっぱ飯島さんにあったのはそれが理由ですよ。それで色々話を聞こうと思って。もちろん飯島さんのことは大好きでしたしね。僕の芸名も全部飯島さんの演じてた役から来てますから。
テ:あっそうなんですか。
杉:そうそう、飯島さんがピンク映画でやってた役をもらって今の名前なんですよ。
テ:そのまんまなんですか?
J:最初は杉作獣太郎っていってたんですけど、それは飯島さんが主演のね、中村幻児さんのピンク映画の主人公の名前をね、そのままもらったんですよ。それぐらい飯島さんのこと僕ファンでしたからね。
テ:あーそういうことだったんですねぇ。
J:もちろんそのやり方にも感動してた訳ですよ。この映画界厳しい狭き門の中でね、例えば自主映画っていうのは当時からありましたけど、飯島さんのは違う。自主映画っていうには規模が大きすぎる。何千万かけてるし、ジャンルとしても戦争映画だし。…だからもう、やっぱりそれしか僕もないと思ってましたので。キャスティングも平凡パンチの取材の中で、とにかくああいう一対一と…女性とかには全く興味がなかったですね。男の映画しか考えてなかったですから。いろんな人に会いに行ったな〜。ミッキー・カーチスさんとかね。ミッキー・カーチスさんもまだ当時、役者やる前ですからね。バイク屋やってた頃でしたけど。当時ね何年間かやりましたけど、出てもらいたいって人には率先して会いに行きましたね。まぁいろいろ会いにいったなぁ…。
テ:もう幼いころから東映映画に憧れみたいなのはあったんですか?
J:そうですよ。やっぱりああいうなんていうんですか。世の中で絶対的に弱いものをいじめてるだとかね、とにかく正しいことをやってるのに酷い目にあってる人とかね、ほとんどの人が悪い人なのに、ちゃんとしたこと考えてる人は主人公だけだったりして、ところがその主人公が大組織とか何万人を相手に最後戦っていくっていう姿をね、毎週毎週描いていた映画会社ですから。こーれしかないだろうと思ってね。僕もそれのおかげで、それなかったらヘコんでとうの昔につぶれちゃってますから。中学を退学になったころに僕はハマリましたから。中学を退学なったときにヘコみますよ普通だったら。子どもだったらね。私立の中学でしたから、学業不振で学校を退学になる訳ですよ。ちなみにそこの11期下が、僕の後輩がロマン優光(ロマンポルシェ)なんですよ。だからロマン優光だけは、この世界で数少ないたった一人のこの同じ業界での後輩ですから、向こうにしても、ロマン優光に対してだけは厳しくビシビシ(笑)
テ:愛ですね(笑)
J:もうビシビシ(笑)
テ:あぁそういうつながりなんですねぇ。じゃあ20代後半ぐらいからは映画に向けて結構戦略的ですね。
J:壮大な準備期間ですよね。当時から脚本書いたり、電話してましたねぇ。あと企画考えて。あと変な話だけどね、当時何を映画化しようと思ったらね、ワイルド7しかないと思ってね。これやろうと思ってね。飯島さんは戦争映画だった。俺はワイルド7しかないなと。だから望月さんのところにはよく行った!望月さんのとこは本当よく行って描いてもらいましたよ。望月さんに漫画描いてくれーっていってね、イラストとかの仕事をね。
テ:すごいですね。
J:当時、望月さんともずいぶん親しくなったんですよ。その後、編集者の仕事を終えたからブランクができちゃいますよね。まぁ当時親しくっていったって何回かしか行ってないですけどね。でも行ったらもう、とにかく映画化して映画権もらいたいもんだから、こっちは素人で子どもだけど。ワイルド7がいかに自分にとって素敵な作品かみたいな話をして(笑)そしたらつい何年か前に望月さんに、ワイルド7の本が出た時に何冊かあとがきじゃないけど本の中で原稿書いた時に、久々に望月さんとかと何回か行ったんですけど、覚えてくれていましたね。あぁ覚えててくれてたと思ってね。でも、まだ映画化権のことは持ち出せませんでしたけど。当時からワイルド7で作ろうと思ってね。ワイルド7のメンバーを早いとこ会って集めなきゃと思ってね。
テ:なるほどねぇ。
J:やってました。ただ編集者が終わっちゃったから、おまけに…なんかちょっと寂しさもあったし。
テ:編集がおわったのは28,9でしょ?そのあとはそういうストーリーが始
まるんですか?
J:その後は…退職金みたいなものをもらいましたから。退職金みたいなものを何百万かもらったんですよ。ほんとねぇ相当もらいました。一年間南の島行って、暮らせるぐらいもらいましたから。これ元手にね、なんかね仕事するのが嫌になってたんですよ。なんで俺が仕事するのが嫌になってたかというとね、バブルの時代だったんですよ、ちょうど。だから退職金も出たんだと思うんだけど。ちょっとね、雑誌とか原稿の質が変わってきたんですよ。馬鹿記事だけ書いてりゃいい時代を過ごして来たんですけど、80年代の終わりぐらいからね、「役に立つ原稿」っていうのを求められ始める訳ですよ。実践、実際に役
に立つ原稿。日本だったら何かのデータが載っているような原稿をね。これはもう馬鹿馬鹿しくてやってられない。これは僕だけじゃなくてみんな当時言ってたことなんですよ。当時ね、僕は編集とか雑誌の記事書く仕事を成り行きで始めましたけど、当時本業でやっていた人たちで辞めた人、僕の知っている中でも何人かいますね。もうやっぱりやってられないって、面白くないっていうんで転職して普通のサラリーマンになった人いるんですけど。それでね、これを元手に…映画を撮るには足りない額ですよ。今と時代が違うから。当時映画を撮るっていったら35mmしかない訳ですから。全然何百万かなんかで取れる訳ない。これはどうにもなんねぇなと、なんとかして金を増やせないかなと思って。…そしたらね、ギャンブルだなと思ってね。
テ:(笑)
J:金を手っ取り早く増やすにはギャンブルしかないだろうと。ちょうどその頃、僕が仕事やってたハギワラっていう編集者がいて、サン出版の。そいつがね、親切ないい男でね。後に演劇やったりする人なんですよ。彼がね親切ないいやつだったんだよなぁ。僕が平凡パンチやってる間にね、もともと僕おニャン子クラブ全然知らなかったんですけど、ある時見たらおニャン子クラブがなくなるって。見たらみんなファンが泣いたりしてる。これは由々しき問題だと思って。テレビ局の番組編成のせいで、この若者たちがね、自分達の毎日毎日信じてた世界がなくなろうとしている。これは立ち上がらなきゃいけないじゃないかと思ってね。こーれは革命起こさなきゃいけないと思って。それでおニャン子に突入していく訳ですよ、俺は。
テ:きましたね。。。
J:突入していった時に最初はそういう気持ちで突入していった。そしたら突入してる間に好きになっちゃいましてね(笑)突入してる間に俺がね、ゆうゆのファンになっちゃった。
テ:ゆうゆでしたか(笑)
J:そしたらねぇ、ハギワラっていうサン出版の編集者が、さっき言った石川さんのとこにいたハダくんの友達だったんですよ。よくうちの近所来てラーメン食いに来たりしてた。彼が後々にサン出版の編集者になって、あいつの雑誌のシュガーの編集をやり始めた。そしたら「杉作、ゆうゆに会いたくない?」って言うから「会いたいよ!」っ言ったら連載仕事始めようよっていうんで
テ:来ましたね〜。
J;それでゆうゆと俺の連載始めてくれた(笑)
テ:すごいなぁ〜!
J:それでゆうゆと毎月ね、パチンコ行ったりね、競艇場行ったりね(笑)
テ:それいいんですか?(笑)
J:まぁゆうゆも大人でしたからねぇ。20歳なってましたから。夢のような仕事ですよ。毎月毎月ね、ゆうゆと一緒にパチンコ行って…何行ったんだろう?パチンコ行って競馬行って…マージャンはやってない…まぁなんせギャンブル巡りみたいな仕事。それでギャンブルやった後にはすき焼き食って帰るみたいな。寿司屋行って帰るみたいな。
テ:会社の金で。
J:「寿司屋行ったりすき焼き行ったり、これお前大丈夫なのか?」って言うから「大丈夫大丈夫!」って言ってたら案の定クビになりましたけどね(笑)
テ:(笑)
J:まぁでも彼にとってもそれはよくてクビになった後、役者になりましたから。ウエスギさんとこのね、はっけんのかい?かな。アキヤマミチオさんのとこですか。そこのウエスギさんの演劇に出てましたね。
テ:夢のような仕事ですねぇ。
J:ほんと。ゆうゆと毎月毎月。平凡パンチの時にも一回、グラビアの撮影で会ったんですよ。それでなおファンになっちゃったから。いい子だったんですよ、現場来たら。当時、アイドルとかモデルさんの撮影に立ち会うことも多かったんですけど、ゆうゆって子が画期的にいい子でね。なんて素敵な女性なんだろうと思ってね。おまけにね熱狂的なファンになっちゃってね。熱狂的なっていっても今みたいなことはないけど。
テ:(笑)
J:だからね加護ちゃんの時もそうでしたけど、俺がファンになるキッカケって相当いつも変わってますよ。おニャン子クラブの時もね、よく知らなかったんだから。番組がなくなるって聞いて、ファンのみんなが泣いたり盛り上がったりしてるのを見たときに、これは問題だろう!と思った、本当。番組編成だろ元は、と思ってね。番組編成が元でね、この…彼女たちは彼女たちで毎日毎日学校帰りに来てる。それで男の子たちは男の子たちで毎日毎日集まって応援してる。毎日毎日キチガイみたいなイベントですよ、あれ。命がけのイベントばっかりだから。それほど熱狂していたものがなくなってしまうってこれはね〜、そんなことでいいのかこの世の中と思ってね。それが元でしたから。これは革命起こさなきゃいけないと思って。女の子たちも番組編成が元でなくなっちゃうんだから仕事が。かわいい女の子たちが酷い目にあう。あとなにか男の子たちがこう集まって、これ全然悪
意のない人たちじゃないですか。女の子目当てにみんなで応援してるっていうのは。悪意のない人たちが酷い目にあうっていうのが、それがやっぱり許せなくなるんだよね。
テ:あぁー、わかります。なんかね僕、杉作さんのこの突き進んでいく源にあるのは何かを知りたかったんです(笑)今までずっといろいろされてて、辛い状況だと思うんですけど。そういうことなんですね。
J:そんな感じそんな感じ。
テ:なるほどね。。ゆうゆと夢の時間も終わって…
J:楽しかったねぇ〜。ゆうゆと…いやぁ今思うと昔すぎて実感として思い出せないんだけど、当時は楽しかったはずですよ、多分。
テ:(笑)
J:だってゆうゆと寿司食いに行くとか思わないもんなぁ。すき焼き食べに。そんで毎月毎月一緒にいるでしょう。向こうは当然仕事仲間ですから、相方ですからね。楽しい仕事だったなぁ。
テ:いいなぁ〜。
J:でもゆうゆも最初のグラビアの撮影の時から、いい子ってのはただかわいい大人だなと思ってましたけど。実際一緒に仕事してみて本当に大人でしたよ。ちゃんと大人の女性としてこの世界で仕事してるんだなっていうね。いろんな背景もあって頑張ってるんだなっていうね。ほんと不謹慎な気持ちは全くなかったんだよね。そしたらハギワラなんかもね、そういうところにグッときてね。例えば寿司屋とかで寿司食って、それだけでも本当は高い料金なんだけど、マネージャー、俺、ハギワラ、カメラマン、それで寿司食いたい放題
でしょう。食いたい放題食った後に、「ゆうゆ、お母さんやお姉さんにお土産持って帰らなくていい?」って言ったらゆうゆが、「えっ、いいんですか?」って言うから「いい、いい!おやじさん、特上包んであげて。」(笑)そりゃクビになるよ(笑)
テ:やりたい放題(笑)
J:この間、ハギワラの映画の上映の時に来てて、「この間、ゆうゆの時のマネージャーに会ったよ。」「えっ何言ってた?」「ハギワラさん、また飯食いに連れてってくださいよ」って(笑)
テ:じゃあそのあとはどういう風に仕事をやって…
J:あぁなんの話だったか忘れちゃった。ハギワラがパチンコやってたんですよ。で、当時ねパチンコの収支表つけてて、毎月10万くらい勝ってたんだよ。パチンコは勝ち組と負け組がはっきりと決まってるゲームだから、常に勝つほうに入ればこれは勝てると。他の勘でやる商売と違って、勘とかが頼りのあやふやなギャンブルではないと。盤面に全て出てると。盤面さえ読みきれば、絶対勝てると。まぁ言われてみたら確かにそうだと。釘っていうのが確かに存在してて、あれ今みたいに後ろに基盤があって、設定があってっていう時代じゃないですから。いわゆる全部、情報が盤面に具体的なものとして出てる訳じゃない。ちょうど田山さん、パチスロ必勝ガイドの田山さんとかがそういう原稿を書いてた時代です。盤面見て、これだ!と思ってね。もうほんと、これはお金が世の中に泳いでるわ!と思ってね。それで何百万か元手にあれば、これは会得できるはずだと、それでギャンブラーになる訳ですよ。仕事全部辞めてね。それが30歳の頃ですよ。
テ:遂に杉作30代に突入しました。
J:30に突入して、ギャンブラーに突入ですよ(笑)朝から晩までパチンコパチンコですよ。もう朝、夜が明けたらパチンコ。寝るまで閉店までパチンコ。これがもう…あんまり続かなかった。これが続かなかった。お金がなくなっちゃって。何百万かあったのにもうあっという間ですよ。もう負け負け負け負け。もう毎日毎日釘を見てね、店出たらすぐ釘買いに行ってってやるんだけど、わかりゃしないんだよ、これ。やっぱり素人なんかには。気が付いた時には、時すでに遅しですよ。まぁあの、自殺を決意した瞬間ですよ。自殺決意した頃ですよ。一度目の自殺、人生の中での一回目の自殺寸前の時。今でも覚えてます
よ。あの名盤解放同盟の当時メンバーだったピストン原田さんのね、アリスの編集者だった原田さんのお母さんだかが亡くなって、お葬式に行かなきゃ、お葬式に行こうって根本さんから夜電話がかかってきたんだけど、葬式に着ていく服もなければ、靴もないんだよ。靴もなくて、包んでいくお金もないっていう状態だったから、俺はもうおしまいだと思ってね。その時ですかね、これは死ぬしかないと思った頃ですよ。まぁ、ギャンブラー…結局ね、そんな状態だけど、お金がなくなった状態はわりと早かったけど、最終的にそんな生活が2年ぐらい続いたんですかね。2年くらいパチンコ漬けの日が。でも、そっから
また世の中に復帰していくわけですけど。よくあのギャンブラー生活から今みたいに戻れたなと。今ギャンブル全然やらないんですけど。
テ:でも32,3じゃないですか、その時点で。じゃあそこからどう回復していく訳ですか?
J:回復はね、これもう偶然なんですけども。ギャンブルやってたらね、白夜書房とはもうデビューしてすぐの頃から原稿書いてましたから。白夜のね…なんか別に自分の用事があった訳じゃないんですよ。…何かで白夜書房に行った…あぁ思い出した。その原田さん!お母さんが亡くなった、名盤解放同盟の原田さんが白夜の編集者だったんですよ。名盤解放同盟がらみとか原田さんの仕事で…そうだそうだ、原田さんに会いにたまに白夜に行ってたんですよ。
テ:なるほど。
J:そしたら白夜のヤマカドさんって人が、今偉くなってますけど、ヤマカドさんがね「杉作さん、パチンコやってるんだって?」って言って「パチンコやってるんですよ。」「パチンコ漫画の本を立ち上げるんだけど、原作書いてみないか?」って言うんですよ。それで久々にその手の出版のほうに復帰したのかな。原作者の仕事なんてやったことなかったですから、生まれて初めてやりましたけど、そしたら案の定あんまり面白くなくてね。すぐ終わっちゃうんですけど。
テ:(笑)漫画描く訳じゃないんですよね?
J:うん、原作。それで、漫画の原作やってそしたらちょうどその頃ね、プロレスファンで
知り合ってた東芝映像っていう会社があって、東芝映像のプロデューサーがいて、彼とはプロレスファン同志で知り合ったんだけど、プロレスの価値観が一緒だったのかな。全く一緒の価値観を持ってた。それでその人とプロレスの話をいっつもしてたんだけど、ある時にパチンコのビデオをね…その後だよなぁ…その原作始めた頃かもしれないけどちょうど同じ時期に、パチンコのビデオっていうのがよそで出始めて。ウチでも出そうと思うんだけど、杉作さんやろうよっていう話になって、パチンコって題材で、面白けりゃなんでもいいって人でしたから。パチンコっていうパッケージになってれば何やってもいいって
いう。俺が企画と構成を全部やった。表面だけパチンコで中は自由なやつ。でも予算があんまりないからドラマ仕立てにはできないけど、バラエティーものだったら何やってもいいって。いよいよ俺の好きな時代がやってきたなぁ!と思って。ところがいきなり演出は無理だから、それをまずやったのかなぁ。その時に、前から考えてた人たちをキャストする訳ですよ。1本目に出たのがストロング金剛さんとかね、蛭子さんとか…結局3本作ったんです。2本目に出てもらったのが…えー、1本目に出たのがあと石川さんとか。2本目に出たのがみうらさん…3本目が根本さんみたいな。今回の映画にすごくよく似たメン
バーなんです。
テ:なるほど、もうすでに!
J:今回のメンバーに出てる漫画家の人たちは、みんなパチンコの時に出てます(笑)
テ:原型が(笑)すごいほんと戦略的ですよね(笑)
J:戦略的っつーか、戦略的っていうよりやりたいことはいっこしかないんだよ、昔から。
テ:なるほどね。筋が通ってるんですね。
J:やりたいことは昔からもう一本だけですよ。出てもらいたい人たちもずっと一本ですよ。浮気性じゃないですからね、全然俺は。だから、当時それやってる間に、もちろんそれはそんなにバジェットのデカい仕事じゃないですから。面白いだけの仕事で、楽しいだけの仕事だったんですよ。当時のそのディレクターっていうのもパチンコキチガイなディレクターだったから、朝から晩までパチンコに入り浸ってるようなディレクターだったんですけど。そのディレクターがある時、深夜番組始めたんですよ。そしたら、「杉作さんも作家でやらないか?」って話になって。局が日テレだったんですけど、日テレは赤坂近いじゃないですか。「赤坂にいいパチンコ屋あるよー。」なんて言って、俺はパチンコ懲り懲りだったんですけど(笑)それで作家でいき始めて、作家でいってる間に出演もするようになって。それがテレビの始まりじゃないですかね。だから、パチンコからの流れです。ほんで、やってる間にタモリ倶楽部とかにも出たのかなぁ?その番組の作家がタモリ倶楽部もやってて
テ:繋がって…
J:一時間番組でしたから結構作家の人数も多くて、10人近くいたんじゃないですかね。作家の人たちだけで。それでその会にいつも行ってる間に、…どっちが先かわからないけど、タモリ倶楽部も同じ作家さんでしたから。それで再び、物書きから始めるというよりはそっちから復帰したんじゃないですかねぇ。そうこうしてる間に、これはいけないと思ってね、もう体制立て直さないと俺はおしまいだと思ってね。ちょうどその頃、パチンコキチガイのプロデューサー、プロデューサーもパチンコキチガイだった。その日テレの番組の。それが結核で入院したんですよ、パチンコのやりすぎで。貧乏こじらせて。局のプロデューサーなのに全部金をパチンコに使っててね、貧乏のどん底だったんです、その人は。これは俺も反省しなきゃいけないと思ってね。そこから仕事始めたんじゃないですかね。その結核で懲りたんですよ。それでいっつも狭い部屋で、丸一日中みんなで仕事してたから、結核が感染するっていうんでね、みんな結核疑惑が出てきてみんな検診受けに行って、これはいけないと思ってね。当の本人は療養所に入ってましたけど。俺はこれじゃいけない!と思ってね、それで再び仕事し始めたんですよね。パチンコは勝てないと。。。パチンコやって療養所にまで行かれちゃうと(笑)それも局のプロデューサーでですよ?相当もらってるはずの人が全部スって、おまけに結核になるぐらい貧乏のどん底にいるのに、俺なんかが使えばやれる訳ないと思ってね。…それで今に至る。。それで、この映画に関しては、そろそろもういい加減ね、ずーっとやろうやろうと思うことの連続だったんですけど、やっぱりやったら損する訳じゃない。どう考えたって。何もかも破壊される恐れがある訳ですよ。生活から何から。まぁ今、ほんと見事に全て破壊されてますけど。それが怖かったんですよね。ところが、怖いのもあるけど、企業に頼まれてやる訳じゃなくて、自分からやることはずっと考えてましたけど、自分から立ち上げてやるってことなんだから、年齢的にねもう40も回ったし、体力的に今やんないと無理だなと思ったから。それで今始めたんですよ。そしたら案の定、俺の中の生態圏が全て破壊されてしまいましたけど。まだ今ならなんとか頑張れるんだよね。まぁ良かったかなぁと思って。判断としてはギリギリ間に合ったと思って。
テ:杉作さん今、40ですか?
J:今、40…今年で5です。あ、4か。年もわからないぐらい今破壊されて、この2,3年はもう…何もわからないぐらい破壊されてる
テ:え、36年生まれですか?
J:36年。
テ:僕46年です。
J:46年?じゃあちょうど…40いくつ?
テ:いや(笑)僕34です。
J:今年は?
テ:今年で35です。
J:あぁ!じゃあ俺45なんだ、もう…
テ:そうです。
J:うわぁ!もう45だよ…。いやぁ、エライことになってきた…。
テ:でも僕あの、今年から10年間をゴールデンエイジにしようと目論んでるんで(笑)
J:(笑)
テ:その10年間でどんなに楽しいのかなっていう話を今日聞けるかなと思っ
て来たんですけど。35〜45で。
J:一番いい時期だよね。男性として。
テ:きっとそうかも。
J:いやわかんないですけど、そんな感じがしますよ。モテる気になりゃ一番モテる時期だよね。今時代的に。若い女の子達一番好きなんじゃない?その辺の年齢の人が。30代後半辺りはモテるでしょう!これはモテると思うよ。
テ:なんかいろいろあって、まぁ離婚したばっかりなんですよ。
J:(笑)あれ、結婚したばっかりだったんじゃないですか?結婚したんじゃなかったっけ?
テ:ううん、全然。もう12年一緒でした。
J:奥さん一回紹介してもらったじゃないですか。
テ:最初の時ですよね。
J:あの人と別れたの?
テ:そうですね。で、マンション売って、調停もして…
J:景気悪いなぁ(笑)でもよかったじゃないですか、自由になれて。
テ:すごいよかったです。お互いよかったです。ちょっとお金がかかりましたけど。で、やっと身軽になって…じゃあ10年頑張ろうと。
J:じゃあこれからはもう、どうやったって生きていけるよね。男一人ぐらいどうやったって生きていけますからね(笑)
テ:ありがとうございます(笑)
J:いやほんとほんと。あのね今ね、墓場プロで仕事してもらってる若い人たちを見てても思うんだけど、20代とかのほうが生きていけないね。お金ないと。やっぱり40くらいになると収入なくても生きていけるよ。誰かが食わしてくれるもん、飯とかは。友達とかがみんな経費で飯が食えるようになってるから。ほんで後輩もいっぱい出来てるでしょ、年下の。俺今ほんとね、10も20も下のヤツに伝票きってもらって飯食わしてもらって、生活してるんだもん。ほんとほんと。今週一週間のうち半分ぐらいは、仕事もしてないけど…こんなこと言うと怒られるけどそいつらが。全部よその会社の経費で飯食ってますよ。
テ:(笑)
J:なんとかなるんですよ。お金持ってる人たちも出てきはじめてるから、昔からの知り合いで。そういう人たちがなんとかしてくれるんです。いい時代になってきてますよ。だからね、20代の時に仲間集めて映画撮ろうったって無理だと思う。その頃こそほんとにみんなにギャラ払わないと、みんなも生きていけない。今は例えばの話だけど、みうらさんにギャラ渡さないとみうらさんが生活できないかっていったら…みうらさんもそりゃ楽じゃないかもしれないけど、それはない。それは気が楽ですよね。
テ:うーん、そうですよね。
J:蛭子さんにどうしてもギャラ渡さないと、蛭子さんが生活できないかっていったらそれはない。それに甘えてる訳じゃないですけど、なんとかやっていけないことはないっていう。ただ、生活はほんとやっぱりね…それがすっごい怖かったんですよ。なんで映画やらなかったっていうと怖いからですよ。とにかく恐怖心のみですよ。だって例えばの話で、パチスロをやるとかポーカーゲームをやるとか、金銭のかかるギャンブルをやる時ってちょっと怖いじゃないですか。最初始める時。それの最上級のものですよ。だから足がすくんでたんだけど、もう年齢的に今やんないと間に合わないと思ったから。もうこの映画製作っていう怖いギャンブル店に入ってった訳ですよね。今のとこずっと、現時点では…まだ大当たりの来ない、パチンコとか競艇で言うとまだ当たりが来ない…今どこまで持つかという時期でしょう?夕べもね、今言ったパチンコビデオ一緒にやってた東芝のプロデューサーに飯食わせてもらいましてね。その東芝のプロデューサーも、後々…最初プロレスのことで知り合ったんだけど、後々はその人と俺とアライ社長とフユキさんとで、FMWの運営する時期があるんですけどね。それ3年半ぐらいやりました。これもギャンブルの時期だったね!
テ:すごいですね(笑)
J:最終的に4人のうち2人死んじゃいましたからね。それで男の墓場プロっていってるんですよ。
テ:なるほどそうでしたか!
J:4人でWWFみたいな大映像会社にしようっていって、結局ディレクTVの搭載以降、二人亡くなっちゃいましたから。かっとばしますけど、それが二回目の自殺の時期ですよ。これは本当に自殺しようと思ってね、それで熱海に行った。熱海の海で飛びこんで死のうと思ってね。当時の東芝映像のプロデューサーも東芝退社して、今四国にいるんだけど。4人のうち一人四国帰って、二人死んで。。。これもう生きてられないと思ってね。熱海に死にに行く時に、東芝のプロデューサーの部下だった男には、そいつだけには連絡してた。今から俺は死に行くんだと。「いやぁやめてくださいよ!」みたいなこと言ってたけど、いやもうダメだっていうんで、それで熱海に。それが墓場プロ立ち上げの年の1,2年前じゃない。それで生きてるわけには行かないと思って。死のうと思って。それで今回の一作目のロケ現場も熱海なんですよ。墓場プロっていってね、とにかく死んだつもりでやってる。死んだつもりじゃないとね、このギャンブルは無理だよ!!
テ:(笑)
J:なんの可能性もないですよ今。未来の。いわゆる普通の意味での。例えばの話、女性と仲良くなろうとか結婚申し込むってことはありえないもんね。生活が維持できないんだもん。例えば俺一人だったら友達に食わしてもらえるけど、カミさんまで食わしてもらえるかっていったらそれは無理でしょう!俺は、自分がどれくらいの男っぷりかはわかってるから、ヒモになるほどの男っぷりと女性に対してのキメ細やかさはないし。それがちょっと怖かった。…そんな日常ですよ。だから今はどうだっていいって感じでね。どうだっていいけど別にヤケクソになってる訳じゃなくて、やるからにはね、ほんとさっきから言っ
てたその正義心が年齢を越えていってるしね、世の中からまともな男像みたいなものが消失しようとしてるから。なんとしてもこれを復活させるためには、まぁ一命を投げ売ってていう気持ちはありますよね。どうやったってにっちもさっちもなんですけどね。

【杉作J太郎さんより高円寺の若者たちに男のメッセージ!!】
「まあ、どうにだってなるってことですよ。女の子も今の時代どうにでもなるのかもしれないけど、ほんとどうにでもなるしね、死ぬなんてことも隣り合わせだし、生きていようと思えば生きてられるし、お金ももうけようとしたらもうけられるし、お金なくなっても生きていこうと思ったら生きていけるし、まあ、どうだっていいってことですよ。俺は今思うのは人間どうだっていいってことだね。だから自分が信じていたことはやればいいんじゃないですか。」

【J、吠える。】
「量産で3本目、4本目、5本目、100本目と作り続けていきますんでね。これほんと冗談でやってるんじゃないいから。なんとか資金調達も順調なんで、1回はじめたからには死んだつもりでって言ってるけど。テクニック的なこととか、今の時代ですよ。テクニックや技術はみんな素晴らしくなってると思います。すべてのジャンルが熟成してるんだから。たとえば雑誌。昔と比べたらデザインの割付とか絶対今のほうがいい。テレビ番組のCGとか。テクニック的なことは全部よくなっている、じゃ何かが悪くなっているだろう、そっちを観てくれってことですよ。観にきてもらいたいんだけど、そっちを観て欲しい。これが正しい男の道だっていうのを同調している人たちだけで作ってますからそこを観てもらいたい。普通の映画とは作ってるプロセスがすごく違うから。」

【映画上映情報】
4月22日から下北沢シネマアートンで追加上映決定!!
「任侠 秘録人間狩り」「怪奇 幽霊スナック殴り込み」の豪華2本立て
とんでもない超豪華出演陣はこちら↓
男の墓場プロダクション
http://www.otokonohakaba.com/

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2007.12.17 Monday
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アルバイトの質問箱, 2007/07/05 11:59 PM