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2006.10.16 Monday
SHOW-YA 寺田恵子さんインタビュー記事


高円寺タウンマガジン用のSHOW-YA寺田恵子さんのインタビュー原稿です。
姉貴と呼ばせてください。ライブ拝みに伺います。
別れ際に、車の窓を開けて
「ライブ、来なよ!今度は飲みながらやろうよ!」って。
きゃー、かっちょええ!!


__

世界初の女の子だけのハードロックバンドとしてギネスブックに載るまで続けたい。


1985年にデビューし、女性ロックバンドとしてハードロックシーンの頂点に立ったSHOW-YA。デビュー直後の寮生活に始まり、脱退、ソロ活動、復活と80年代〜00年代を駆け抜けた寺田恵子さんの波乱の人生を17年ぶりという高円寺でシャウトして頂きました。変わらぬカッコ良さがまぶしすぎ!!
(取材&テキスト:テリー植田 撮影:大澤麻衣)

高円寺には今までバンドやっていた人、今バンドをやっている人、これからやろうと思っている人がいると思いますのでそんなロック野郎どもに向けたインタビューになればと思います。まずは、1985年、デビュー頃の生活はどんな風だったのですか?

デビュー前後の苦労話もたくさんあるんだけど、何から話そうかなぁ。いっぱいありすぎてぇ〜。

そうですよね、ヤマハのコンテストに出たれた頃の話からいきましょうか。

18歳くらいの時で、デビュー4年くらい前の話なんですよ。歌の世界に入るのを子供の頃から決めていたので賞を取れたらすぐデビュー出来ると思っていたらそうではなくて。結局、ライブハウスで活動していかなければならなくて。2社からソロデビューの話が来ていて断って。女性ロックバンドをデビューさせてくれる受け皿がないのかなって、なかばあきらめモードに入っていた時に、うちの事務所が君らのためにプロダクションを作ろうと。それでデビューすることが出来たんですけど、デビューにあたってお金がないじゃないですか?うちの事務所からお給料は頂くけど生活出来るほどではないでしょ。で、メンバーみんなで3年間の寮生活が始まる訳ですよ。

初めて知りました。SHOW−YAは寮生活から始まったんですね。マンション?それとも一軒家ですか?

一軒家。ほんとの寮。部屋が13部屋あって、リビングも広くて。1人2部屋づつでね。

じゃ、苦労話というよりリッチな生活じゃないですか?!(笑)

でもね、ひと部屋は荷物置きや、外に洗濯物干して出かけられないので、洗濯部屋になっていて、あとはドラムの練習部屋。布団買って防音して作ってね。ドラムの子はスティックを持って朝起きて来るの。スティックには「ドラム命」って書いてあるの。それくらい朝から晩までドラムのことを考えるのが好きな子で。

寮生活しながらバイトやっていたのですか?

しないしない。ずっと練習。その分、集中出来たのは良かった。ラッキーだし恵まれてて贅たくだね。デビュー前は学校行って、2時間バイトやって、練習やってみたいなかんじだったけど。

バイトは何されていたのですか?

ひとつはマクドナルド。時間を選べて1時間でも入れるの。もうひとつは喫茶店。ランチタイムにちょこっとね。

その頃はシングルを出したりライブやったりと順調では?

はたから見たら順調だったと思うけど、自分的には納得いかない時期が続いたかな。デビュー決まってからの4年はほんとうに悩んでいた。

音楽的な悩みですか?

ううん。デビューしたらもっとすぐ売れると思っていた。世の中そんなに甘くなくて。女の子バンドでハードロックやってることで世間の注目をあびるって自信満々だったので。24歳で初めてアメリカ行った時に、レコーディングのアシスタントさんに悩みを聞いて頂いて。髪型も変えた。ビジュアル、洋服も変えてみた。化粧方法も変えた。音楽でもいろんなチャレンジもしている。どうして売れないのか。どうしたらいいのだろうと。そしたら、「アメリカでは30歳でデビューするのが常で、30歳でデビュー出来たらラッキーだ。人間というのは30歳になってはじめて大人の道の一歩を踏み出す。それまでは子供だ。子供の時に何を経験して何を学んで自分にとって何が大切か見極める時間だ。君はまだ30歳まで6年ある。その間に何を学んで何を自分のものにするか考えたら30歳に己の道が開かれる。そうして初めて音楽ってものが出来るのだよ」って言われたの。

海外のライブで得たものってありましたか?

発見は、音楽に国境はないって言うじゃない?これは正しいと思った発見と言葉に国境はあるっていう発見。言語の問題はボーカルとしてスポークスマンとして一番悩んだことだったかな。

去年でSHOW-YAは20周年。80年代、90年代、00年代と振り返るとどんな思いがありますか?

80年代はとにかく一生懸命。がむしゃらに貪欲に音楽に傾ける情熱はピカイチだったと思う。私は92年に脱退して、音楽に興味が無くなってしまって。また出てくるのだけど、ほんとうに音楽やめようって思って実家に帰った。全く音楽に魅力を感じなくなってね。いたるところで音楽が流れているとうっとうしくてうっとうしくて。引きこもったりした時期があったの。ソロデビューのお話も頂いたけど断って。でも、いい年した女が結婚もせず、就職もせずぷらぷらする訳にもいかないので就職しようと思って、就職案内と履歴書を買って書いてね。私はケーキ工場で働きたくって。(大まじに)

えっ?SHOW-YAの寺田恵子がケーキ工場ですか!?(笑)

そうなの。履歴書に名前とか経歴を書いていくと大学卒業後のあとが書くことないの。大学卒業するかしないかでデビューが決まってね。で、SHOW-YAとしてプロ活動を始めるって書かないといけないでしょ。それ書くのがためらいがあって。面接の時に働いてないんですかって聞かれたらそうですって言わないといけないでしょ。ずっと悩んでいた時に、ソロでデビューすることになる事務所の社長さんから電話を頂いて。戻って来い、お前の力が必要だと。どうしても歌を歌いたくないのなら、女バンドのプロデューサーとして戻って来いと。今まで培って来たものをどこの馬の骨か分からないやつらに易々と渡すのはいやだと。(笑)だったら自分でイチからやるって。

自分でやるっていうケツのまくり方が寺田恵子らしいですね。

がむしゃらにやっていた80年代から、看板を背負ったまま活動しなければいけない90年代に入って葛藤があって。私はハードロックをソロではもうやりたくなくて。97年まではSHOW-YAが活動していたから同じ土俵に立ちたくなくて。そこからお金を貯める作業に入るんです。個人でやるにしても、メンバーにギャランティーを払わないといけないでしょ。1年間はメンバーを食わせていけるお金が貯まったので、そのお金を持って昔お世話になった事務所(現事務所)に。これから1人で頑張っていくので今度ともよろしくお願いします。一応、お金は貯めました。1年間はメンバーの生活の面倒を見て、その1年間にどうにもならなかったら諦めます。」と、そういう話をしたらうちに戻って来いよとなって。90年代はミュージシャンとしていい時代ではないの。バンドでいる時はメンバーのありがたさは分からなかったの。でもソロになると自分がボーカルである以上は楽器出来ないからライブが切れないんだよね。

ミュージシャンとしては死活問題ですね。

野たれ死のうって。タイムズスクエア挨拶に行って、「実は前の事務所を辞めました。」と。「一時、ご迷惑をかけてすいませんでしたーでギターを持って風呂も入らず、その日暮らしの生活をしようとギターを始めたのね。(笑)日本の音楽シーンにいやけがさして。ミュージシャンの商品化みたいなのが嫌だったの。ちょうどすごく高いキーの女の子が流行った頃で、君の声は時代の声じゃないからダメだって言われて。音楽性を否定されるならともかく声を否定されたら行き場がないじゃない。ギター弾けるようになったら黒人のサックスプレーヤーと雪降る90年代終わりは自分で楽器を始めて新たな音楽活動をしようと思った頃。この業界に別れを告げてニューヨークで中凍えて死んで、何年か後に「日本人元ミュージシャン、ニューヨークで凍死。」ってニュースになるみたいな。(爆笑)

ジム・モリソンの最後みたいな伝説に。(笑)

ヘビーメタルのイベントでアコースティックギターを持って弾いたら周りが認めてくれてね。お客さんも喜んでくれてそこからまた違う音楽人生が始まったの。自分の声とサポートしてくれる楽器だけで出来るならこれ以上強いものはないって。で、この状態だったらSHOW-YAをひっぱって行けると。でも断られて5年かけて1人1人説得しました。(2005年、オリジナルメンバーで大復活祭ライブ開催)

これからめざすことってありますか?

「世界で初の女の子だけのハードロックバンドとしてギネスブックに載るまで続けたいと思っているの。男だとストーンズもエアロスミスもいるけど、女の子だけでしかもハードロックというのはいないしね。ちょっと夢でかいみたいな。」

【高円寺のバンドマンたちにメッセージfrom 寺田恵子】
「この一球は絶対無二の一球なり。されば真摯をあげて打ち出すべし」
漫画「エースを狙え」の言葉ですが、私はボーカルなので
「この一声は絶対無二の一声なり。されば真摯をあげて一声うつべし」
音楽やっている人は自分の楽器パートに置き換えて。二度と来ない人生なので今というときを頑張ってください。


【SHOW-YA LIVE 2006】
新神戸オリエンタル劇場 10/14(土)
渋谷公会堂 10/20(金)
お問い合わせ:SOGO Tokyo 03-3405-9999 SOGO Osaka 06-6344-3326
各プレイガイドにて発売中
http://www.show-ya.jp/

【鉄は熱いうちに打て!ROCK CONCERTの初体験!!!ROCKの英才教育!!!】
『日本全国ハードロック化計画』を推進するROCK道の女達『SHOW-YA』が、子供達にロックとは何か?コンサートはどのようにして行われていくのか?を優しく教授する、社会科見学ツアーを開催します。『SHOW-YA』の実際のLIVE、10/20
渋谷公会堂で行われるLIVEの楽屋裏に小学生以下のお子さんを対象に無料ご招待。同時に、ミニライブを行いROCKバンドの生音を体感してもらいます。申し込みはインターネットHPにて(近日詳細アップ)


| テリー植田 | 高円寺 | 11:29 | comments(0) | trackbacks(2) |
2007.12.17 Monday
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