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2007.06.23 Saturday
曽我部恵一さんインタビュー

SHOW-OFF27号 表紙インタビュー 曽我部恵一さん

『自分たちの生活を支えていく音楽を自分たちで作っているっていうのは、すごい充実していますよ。』


曽我部恵一(元サニーデイ・サービス)さんが2人のお子さんを連れて下北沢から高円寺へ。学生時代、サニーデイ時代、ソロ活動、家族のこと、音楽のこと。ありのまま、あるがまま今の曽我部恵一さんの東京ラブ&ピース生活を聞きました。
(企画、インタビュー、構成:テリー植田)



高円寺ZATTS CAFEにて
(佐世保バーガー美味しいよ。)

テリー植田:曽我部さんの上京の物語から聞きたいなぁと思いまして。

曽我部恵一:東京に来てもう15〜6年ですね。

テ:上京されたのは90年くらいですかね?

曽:そう、90年ですね。大学で出てきたんですけど。

テ:立教に入学されて、その頃サニーデイ始められたんですか?

曽:すぐ始めましたね。僕はバンドは高校時代とか田舎ではやってなくて、大学入ったら音楽詳しい奴とか趣味の合う奴がいると思って入って、大学のサークルも覗いてみたんですけどあんまりいなくて、そういう人は。ボン・ジョビのコピーとかやってたりして。

テ:違いますね、明らかに。(笑)

曽:「あれぇ、これちょっと田舎と一緒だな」(笑)と思って。結局田舎から出てきた友達3人くらいでやり始めたんですよ。

テ:3人一緒に上京してきたんですか?

曽:ばらばらだったんですけど、地元でも知ってて、音楽の趣味も共通で。田舎でもそんなにマニアックな人間っていないし、趣味も分かってるってことで「じゃあ一緒にやろうか」みたいな。(笑)あんまり上京してきた意味なかったですけどね。

テ:バンド組んで最初はどうでしたか?

曽:やり方も分からないし、それまでライブをやったこともなかったから、どうやってやっていこうかっていうのは悩みましたね。ほんと模索しながら。ライブを一本やろうということになっても、モニタースピーカーとかの使い方も分からないような素人で、リハスタ(リハーサルスタジオ)に入ってもどうやって練習
していいのか、マイクをミキサーに繋げて音が出るまで一時間くらいかかったりとか、そういう感じでしたね。

テ:最初のアルバム『若者たち』までは数年かかるんですよね?

曽:4〜5年あるんじゃないですか。

テ:95年くらいのリリースですね。

曽:紆余曲折して、『若者たち』以降はわりかし順風満帆というと変なんですけれど、でも実はファーストアルバムが出ても給料とか事務所から出ないし、食えはしなかったんですよ。

テ:以前、ゲストで出演されてたマキタスポーツさんのイベントでその話を聞いて僕はショックを受けましたよ。『東京』(サニーデイ・サービスの名を知らしめた不朽の名作)とかめちゃくちゃ聴いていたので。(笑)

曽:『東京』の時はまだ給料0円時代というか、『東京』というアルバムが出てチャートにうまく入って、それで月給9万円もらい始めて。でも9万だとまだ食えないですよね。

テ:派遣社員以下ですよね。その『東京』が96年ですね。

曽:『東京』から「バンド活動」っていう日々だったんですけど、それまでは結構大変でしたね。

テ:取材に行くときの交通費がなかったことがあったんでしょう?(笑)

曽:そう、渋谷までの電車賃がなくて。近所の駅の近くに中古CD屋があって、そこで結構CDを売ってましたね。売って電車賃作って行って、レコード会社の人にお金を借りて帰ってくるっていう
。ダイナソーjrとか好きだったCDを売ってたから、切迫してたんだと思いますね。

テ:ギリギリだった?

曽:『若者たち』を出すまでは大変でしたね。今やれと言われても出来ない。貧困と、誰も自分の音楽を認めてくれないという状況で、その時期は山崎パンでバイトもやったし。

テ:鳥肌実といっしょじゃないですか!ファンは誰もそんなこと思ってもいないですよ。でもそれがツラくなかった?

曽:その時は「どうしようかな」と何となく悶々としてたんですけど、田舎から出てくる時には「自分はすごい!」、「俺は成功してやる!」、「みんな、俺の曲を聴くに違いない」って思ってましたね。子供の妄想とか自信ってあるじゃないですか。いろんな人にいろんなこと聞いたり相談したりしてましたけど、「ど
うしたらプロのミュージシャンになれるか」とか分かんなかったですね。だからいまだにプロのミュージシャン目指してる人に対して、「こういう風にしたらプロになって食えるよ」ってことは言えないんですよ。僕はすごいラッキーなことにインディーでCDを出してくれるところがあって、ほんとに自主制作で作ったやつを、た
またまレコード会社のディレクターの人が気に入って「ウチで出そうよ」って言ってくれたからそこから始まったんですけど。

テ:『東京』が出てから大分変わって行きましたか、生活は?

曽:そうですね。メジャーはMIDIっていうレコード会社なんですけど、MIDIで契約して、最初に2枚マキシシングルを出したんですけどそれは音楽性も全然違くて、当時は渋谷系が全盛の頃で、もっと渋谷系的なサウンドだったんですよ。何の注目も得ずに終わって、その頃は悩みましたね。メジャーから出て宣伝もしてもらったにもかかわらず誰も認めてくれないみたいなところに、「これじゃ駄目なんだ」っていき
なり壁に当たりましたね。

テ:リリースしたのに、リアクションが薄いと。

曽:うん。だから「ライブ出来ない」とか「どうしてデビューできるんだろう」とかの次の一番デカイ壁がそこだったかなぁ。デビューして自分が作った曲を出してることを誰も認知してくれないという事実。「これをどうしていったらいいんだろう」ということは考えましたね。それで、『若者たち』みたいな世界観に
なんとかたどり着いたんです。でもま、楽しかったですけどね、今思うと。

テ:最初からずっと住まいは下北ですか?

曽:最初は僕、練馬区に住んでて、次に明大前に越して、ずっと明大前にいましたね。解散するまでは明大前。デビューから解散ギリギリまでは明大前のアパートですね。2DKの古いアパート。

テ:それからどうして下北を選んだんですか?

曽:やっぱ下北はQue(ライブハウス)もあったし、レコード屋さんもいろいろあったから、下北は好きな街だったんですよ。

テ:今は下北でお店もされているんですよね?

曽:そうなんです。

テ:どういうお店ですか?

曽:基本はレコード屋さんで、夜はバーになるレコード屋さんをやろうというのが最初で。今のレコード屋さんって中古のアナログ盤とかってそんなに売れたりしないから、下北でレコード屋さんやるのは大変だろうというのがあって。レコード屋やりたい友達がいたんですけど「いや、大変だろうね」という話をしてい
て、そしたら「夜はバーにして、バーの売上も含めて営業したら可能性はあるんじゃない?」という話をし始めて。それで「じゃやってみる?」って話になって何となく始めたんですよ。昼間も、うちのギターのやつが昔コックさんをやってて、「ライブとかレコーディングないときは作って」って。パスタがうまくって、そいつさ


テ:『東京』以降、ファンからすると順風満帆な時期に思えますが 、実際はどうだったんですか?

曽:実際は、音楽的にはいろいろとトライしてたり、すごい充実してたんです。毎日音楽を作るっていうことに費やされていたから、僕は夢のような生活だったけど、一個作ったら次のものをまた作らなきゃいけないし、一つ評価を受けるものを作ったら次はそれ以上の評価を得なきゃいけないんじゃないだろうかとか、
そういうプレッシャーはもちろんありますよ。今もあるのかもしれないけど。

テ:「新しいものを作らなくてはいけない」というプレッシャーは、今自分でレーベルされて環境も変わったと思うんですけど、違いますか?

曽:変わらないですよ、結局。やっぱプレッシャーあるし。でも今は音楽を作るっていうことが生活の一部にほんとになってきて、例えばアルバムが出てそのアルバムの売上なりツアーの収益が、「これが誰かの給料でこれが誰かの生活費」というのが分かってきてるし、そうやって生活して生きていくことと音楽を作っ
てプレイしていくことと繋がってきてて、それはすごい楽しいですよ。昔はそこじゃなく、もっとアーティスティックだったかもしれない。音楽を作って単にそれが楽しい、みたいな。じゃなくて、今は音楽を作ることももちろん楽しいけど、それと一緒に自分たちが生きていく生活を支えていく音楽を自分たちで手作りで作ってい
るっていうのは、すごい充実していますよ。

テ:サニーデイが解散してレコード会社と契約が終わって、自分でレーベルやろうと決断した時はどんな心境でしたか?

曽:なんとなくなんですけど、「よし、じゃあもう自分でやろう」というよりも、自分で自分のメディアを持ちたいというのはあって。それはモノを作ったりする人はそうなのかもしれないけど。サニーデイが終わってソロをユニバーサルで出したんですけど、ユニバーサルとの契約が切れて「じゃあ次どのレーベルにい
きましょうか」という時に、ここだと契約金が云々とか、ここだとこういう条件でとか、いろいろあったんですけど、レーベルを渡り歩いても面白くないなと思って。自分でやったほうがいいかなと。

テ:30代の世代からすると、曽我部さんにすごい共感のするのは、大きな資本に振り回されずに自分がメディアになろうと思ったところですね。

曽:それ凄いいいことだなって思って。大きい資本の中でやる必要はないんですよね、モノ作ることって。個人でやる仕事で、大きい資本でやってることと同じクオリティのものが出来ていたらそれでOKだと思うんですよ。聴いてくれる人っていうのは結局そこしか求めてないし、こっちの方が宣伝力が優れてるからこ
っちの音楽を聴こうという訳ではないんですよね。僕が気をつけたいなと思っているのは、個人レベルで自主制作で音楽作ってる時にクオリティが下がらないようにしたいなというのはあります。お金がかかってるかかってないに関わらず、精神的なクオリティというか。

テ:ソロになった時点で"曽我部恵一ブランド"っていうのが頑としてもうあって、ファンはそれを求めていたと思うんです。僕はいいスライドの仕方をされたな、とファンとして思っていたんですけど。レーベルされて何年ですか?

曽:4年ぐらいですね。やっとお金のことをそんなに心配せずにスタジオに入れるのは、ほんとに最近ですね。最初は安いところ選んで。もし大きいレコード会社で作ってたらもうちょっと粘っていろんなとこにお金かけていくだろうなというところをあえてお金使わずに切り上げたりしてましたけど。今はちょっと安定してきた
から、そういうところを気にせず動けるようになりました。
テ:でも協力してくれるスタッフはいたんですよね?デザイナーさんとか。

曽:いや、でも友達ですよ。全部。まずは二人でやってたから。一人はイラストレーターで、若い奴で、「電話番手伝って」みたいな。どこが幾らでプレスしてくれるとかデザインの入稿の
仕方とか、何にも分かってなかったですね。そのうちもう一人サニーデイの時にプロモーターやってた人が加わって三人になってや
り始めた。

テ:家と別に事務所を借りたんですよね?

曽:そうですね。下北に。でも本当に大変でした。ネットで通販やらなきゃってなった時に、じゃあどうやってやるのってなって、カートのレンタルとかやったりしてるんだけどちょっと負荷がかかるとダウンしたりとか、もう大変でしたね。

テ:そういうことに気をとられたくないんじゃないですか?

曽:何年かはそればっかりでしたね。今もその延長線上ですけど。環境整えるのはすっごい大変でした。

テ:でもその頃お子さんが生まれてすごい大変な時期だったんでしょう?

曽:そうですね。やろうとしてることは大きいレコード会社がやろうとしてることと一緒のことだから、それがすっごい難しいなと思って。慣れちゃえば一個一個クリアしていくんですけど。大きな資本からやり方をレクチャーしてもらうんじゃなくて、自分たちでやり方を一から作っていった感じなんですよ。それが良
かった。

テ:ブログでファンはその様子を見ていて、ファンとアーティストの風通しが良い関係があるというか。より強い支持になってるんじゃないかなと。

曽:うーん、どうでしょうね。今そうやって環境とかから足場から作っていくというスタイルを含めて音楽を作ってるから、自分的には面白いですね。

テ:結婚されたのはいつぐらいなんですか?

曽:30ぐらいだから解散する年とか。子どもが出来た時くらい。

テ:そういう人生のタイミングだったんですね。

曽:そうですね。いろいろ人生が大きく変わる瞬間でしたね。

テ:30代、40代の目標とか見通しってあります?

曽:ないですね。3年後こうしていたいとかいうのも全然ないですよ、俺。今のペースでずっと続けたいっていうのも特にないですよ。もっといろんなことが起きてほしいんですけど。とにかく今日明日明後日のことをやるのが一生懸命で、いっつもそうやって動いてるのかなぁ。バンドやってた頃も大ヒットしたりとか超メジャーになった
りしなかったのはそういう理由もあるかなと思うんですけど、みんな周りは年間スケジュール組んで、3年後はとか自分たちで成功へのシナリオというか、ある程度計算してやっていたと思うんですよね。そういうとこあんまり僕は興味なくて、「じゃあ2年後のこのくらいには曽我部恵一プレゼンツでフェスでもやりましょうよ」とか言われても全く何の興味もなくて、2年後のことなんて分かんねーよっていう。「今日これしなきゃいけないから、今日これ一生懸命やっていい?」みたいなのがメインなんですよ。特にミュージシャンとしてはそうで、あとは経営者という側面もあって、経営者としては全体を見なきゃいけないから、今期とか来期とか前年とか考えてるけど。来年はこうい
うふうに会社を成長させたいなというのはないですね。

テ:それは、曽我部さんらしいなぁ。(笑)

曽:でもほんとに想像つかないですね。50代になったときに、今と同じいろんな心配事をかかえながら、必死でどろどろになりながら音楽やってるのは想像したくないですね。そのころは井上陽水さんみたいに悠々自適なことになっていたいんですけど、でもそんなのないんだろうなとも思うんですよね。たまにアルバム作ったりとか、たまにライブしたりだ
とか。

テ:ファンからすると、30年くらい経っても"曽我部恵一"っていうブランドはきっとあると思ってますよ。

曽:音楽やってるのかどうかもわかんないですけど。飽きちゃったらやれないし。

テ:意外に飽き性ですか?

曽:音楽は飽きないですね。

テ:音楽以外の話なんですけど、家族が出来て、食べるものだったりコミュニケーションの仕方とか、変わってきたりしました?

曽:うーん、家族ねぇ…。食事とか変わりますね、家で作ったりするから。で、食事みんなで食べるとか大事だな、とか思ったりしますけどね。子どもが出来て何が変わったかというと、やはり性格が変わりましたね。あきらめがついたというか。いろんなことをあきらめましたよ。(笑)

テ:え?何を?

曽:ミュージシャンをやりながら世界中を旅したりとか、いろんなところでプレイしたりとか、いろんな女性と付き合ったりとか、いろんな夢がありましたけど、そういうの全部

あきらめました。なんかあきらめが良くなりますね。夢がすぐに捨てれるっていう。それはいいことだなって。

テ:それは家族のためにってことですよね?

曽:子どもがいてそれは無理だろってことはいっぱいあるから。結婚したり子どもができたりするのってオススメですよ。そういう夢見がちな男子。

テ:これからのリリースの情報は?

曽:DVDと本が出ました。夏にライブがあって、8月くらいにアルバムが出ます。

テ:忙しくなりそうですね。レコーディングはいつされるんですか?

曽:レコーディングは終わっていて。

テ:テーマはありますか?

曽:テーマは「夏」ですね。夏の幻のような。山本直樹さんの漫画が好きでああいう世界観とか、よしもとよしともさんの「青い車」とか、ああいう夏のひんやりして暑くて過去とか未来とかから切り離された夏の一日というか、永遠性というか。そんなことを考えながら作りました。

テ:では最後に、音楽を目指している若者たちにメッセージを!!

曽:僕は音楽を目指してて今は音楽を作って生活してて、それはすごい楽しいですよってことを言いたい。最高にいい。でも100%それを生業にしなくてもいいんだと思う。昔はどうしても音楽でメシを食いたいというのがあったんだけど、それは考え方を変えた方が今はいいのかもしれない。生活をするためにこの仕事を持ってこれはこれで大事で、音楽は音楽でこっちなんだと、使い分けられる人の方が、今の時代は楽しいと思う。頑張
ってください。夢を見続けてもらって、妥協しつつ(笑)。夢を見続けてる奴が素敵だなと思うし、それが世界を動かしていくと思う。



小生と曽我部さんは1971年生まれの同い年


【曽我部恵一・最新情報】
8月2日曽我部恵一ニューアルバム「blue」リリース決定!!

【ライブ情報寡】
7/22(日) 曽我部恵一BAND @下北沢CLUB Que

曽我部恵一BAND SUMMER TOUR 2007「センチメンタルな夏」
チケット 6/30(土)発売
前売り¥2,500(1ドリンク付)/当日¥2,800(1ドリンク付)

8/6(月) 渋谷CLUB QUATTRO
18:00open / 19:00start
info CLUB QUATTRO 03-3477-8750

8/8(水)
名古屋CLUB QUATTRO
18:00open / 19:00start
info Jail HOUSE 052-936-6041

8/9(木)
心斎橋CLUB QUATTRO
18:00open / 19:00start
info CLUB QUATTRO 06-6281-8181

8/12(日)
福岡DRUM LOGOS
17:00open / 18:00start
info BEA 092-712-4221
TOTAL INFO: www.sokabekeiichi.com
| テリー植田 | フリーペーパー | 13:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
2007.12.17 Monday
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