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2004.07.07 Wednesday
奥田映ニ監督 インタビュー
KNACK 第2号(メディアボーイ:廃刊)
奥田瑛二(俳優・映画監督)インタビュー

奥田瑛二監督第一回作品「少女」のプロモーション時のインタビュー。 パリ映画祭グランプリ作品。中年警察官と中学生の援助交際を モチーフにした大人の寓話。原作は直木賞作家の連城三紀彦。 主演の新人小沢まゆが最高にいい。残念ながらビデオにまだ なっていないようです。竹中直人より北野武より監督としての 才能はある人だと思う。



 丸坊主の大柄な男が、あいさつしながらスタジオの重いドアを開けて入ってきた。奥田瑛二さんだと分かって挨拶しようと近づいていくと、右手に携帯を持ちながら開口一番こう放った。「勝負電話が2時にかかってくるんだ。ちあきなおみの「喝采」が鳴ったら、俺の電話だからね。頼みますよ。勝負下着ってあるけど、これは勝負電話だからね。」

 80年代は、酒、女、トレンディードラマ、スキャンダルと奔放に映画やテレビの世界で俳優として生きてきた奥田瑛二が今、映画監督に挑み、それも「少女」という意表をつくタイトルの映画を撮った。男ならば、奥田瑛二という男の生き様に憧れはしないだろうか?繊細。孤独感。チャーミングマン。破天荒。無頼。スキャンダラス。ハードボイルド。画家。俳優。今、映画監督の名声まで手に入れようとしている。一体、この奥田瑛二という人はどこまで貪欲なのか?高倉健が「閉じる男の美学」ならば奥田瑛二は、「丸裸の男の美学」である。火野正平のように女性の懐にすばやくもぐりこむ愛くるしさでなく、知的に無防備を装うことでチャームポイントを掲げる。奥田瑛二は、全くもって知的な雄である。50歳にして初メガホンを握った作品が今秋公開予定の「少女」である。まず断言しよう。映画「少女」は、今年のベスト映画の一本に必ず入る作品だ。もっと言わせてほしい。近年の日本映画で、これほど香ばしく、激しく、匂う娯楽作品はあっただろうか?キャスティングも多彩だ。障害を持つ難しい役を見事に演じきった格闘家の小路晃、円熟の極めを匂わせる夏木マリ、香ばしくいぶし銀の名脇役・室田日出男。美術は、日比野克彦。日比野作品が映画の随所に顔を出すのも楽しみのひとつだ。年齢不詳の新人・小沢まゆが少女役で登場する。真っ白なフェロモンとでも言おうか。篠山紀信が撮ったデビュー当時の山口百恵に通じる純白のカリスマの匂いを感じる。驚くほどの美人でもないが時代性を超えた何かを持っている。大きな瞳と柔らかく輝く唇に惹きつけられる。奥田演出によって映画初出演にして、白く美しい裸体を惜しみなくフィルムに焼き付けた。永遠なる少女性を発揮したその白い裸体の美しさに息を呑み、劇場で全ての男は自分が雄かえるだろう。一体、奥田瑛二は、この少女に何を見つけたのだろうか?42歳になる私の知人が、20歳の少女と結婚した。男は、ある年齢に達すると永遠なる少女にオアシスを求めるようになるのだろうか?ラジオで好きな女性のタイプを聞かれたときに奥田瑛二は、こう答えたそうだ。「いっしょに隣にいるだけで、幸せと感じさせてくれる人。」 「少女」をフィルムに焼き付けて残しておきたかったのは、こういうことなのかもしれない。

 撮影の合間をぬって話を聞いた。15年も前に、名古屋の新聞社から連城三紀彦の同名原作「少女」の話を聞き、映画化の権利を得た。奥田瑛二は、話を聞いてすぐに本屋に走り、短編の40ページを読んだ。映画にしたいと思い、原作者に直接電話した。原作者も俳優本人からまさか電話があるとも思ってもいなかったようで、すでに20社からオファーが入っていたにも関わらず奥田瑛二に映画権を譲ったらしい。そんな型破りのエピソードも奥田瑛二らしい。15年もの間、完成まで紆余曲折を経てここ4年ほどで原作の「少女」という題と匂うエッセンスを残し本格的に映画化に取り組む。この時、奥田瑛二は、変りつつある風俗のトレンドを見逃さなかった。少女売春から援助交際へトレンドが移ったのだ。すでに主人公のキャラクターは、何度も姿を変えていた。原作のどうしょうもなく立ち止まっている青年、警官、中学校教師、予備校講師、そして15年経ち、また警官に戻った。原作のシーンをそのまんま使ったのは、1シーンだけで残りはオリジナルだという。読んでから観るか。観てから読むか。読者の皆さんは、是非、原作と映画を比べて楽しみ味わっていただきたい。



 自由で傍若無人な中年の警官と中学生の少女の激しくも壊れやすい恋愛を描いた第一回監督作品にしてマスターピース。あっさりと奥田瑛二は、映画「少女」をこう語る。 「嘘も隠しもない自分の、ある種、すごい原点だなと思いますよね。役者として演じることよりもこれに勝るものはなかったなと思うわけですから。」 俳優のキャリアを積んできた奥田瑛二は、映画監督をやってどう思ったのだろうか? 「お姉ちゃんをちちくりながら、こっちでキャビアとシャンペン飲んでも、それってどっか虚しかったりするじゃない。大人になっておもちゃの消防車とあめ玉もらったかんじ。嬉しくてしょうがないっていうね。」
大人になりきれない少年奥田瑛二らしい言葉だ。監督をやろうと思った42歳の時から、いつか監督として飛んでやるぞという執念を持ち続けた。役者として映画に出ても監督の目線で物事を考えた。その間、ご存知、北野武、竹中直人らが次々と監督作品を発表し世界的な評価を得る。どうしょうもなく悔しい思いを抱き、俺ならもっとやってやると思ったに違いない。長年やってきたテレビについては、ばっさりとこう切る。「テレビは、うまく大衆を利用すればいいんですよ。大衆に動かされると、あっと気がついた時にボロボロになってて、もう時代遅れになってるからね。テレビっていうのは残酷だから。僕なんかテレビとうまく付き合えないなと思ったもんだから、わざとテレビには出ないと言っちゃってたんですよ。嫌われてもいいからそう言わないと僕が前に進めなかったんですよね。」
危ない橋をわざと渡りながら、気がつけば崖っぷちにいるような殺伐と刹那的な生き方が、男としてたまらなく憧れる。そんな生き方に奥田瑛二は、ある時から自覚的になる。 「人になめられてた若い時があって、そのなめられてるのを逆手にとって宝刀三昧、無頼三昧をわざとやったっていうのがあったのね。あれが杓子定規で、淡々と線の細い俳優でずっとやってたら今ごろもういませんよ。」
奥様に最近こう言われたそうだ。「これからはあんまり吠えない方がいいんじゃない?」 しかし、奥田瑛二は、こうだ。「吠えないと、明日が来ないってことがあるんですよね。枷をはめるっていうのが、自分の生き方だったから。」この生き様が時代の風を常に感じとっているのだろう。ある時は、悪魔のように繊細に、またある時は、天使のように大胆に。「ふだんは、すんごい臆病なんですよ。自分でコントロールできない凄い達観したみたいな勇気100倍みたいな時があるんですよ。なんでこんな行動力と勇気があるんだっていう時があるのね。つまりそれは、俺じゃないんだなって思うときがある。普段は、勇気ないから電話できないっていうくらい凄いびびり屋なの。ある何かを越えたときに、出来ないことは、ないって思うの。出来ないことに躊躇するんじゃなくて、出来ることのために躊躇するっていう快感。」映画監督をめざしながら、十数年考えてきた「人間」っていうものがどんな存在なのかが分かって気が楽になったという。「人間じゃないんだ。」ってことに辿り着いた。人間であるということを認識してるから苦しむ。人間じゃないということを認識すると、楽になる。人間って誰かが名づけたわけであって、名づけた奴は、人間じゃないわけだから。人間っていうのは、飼育されていて、つまり本当の自分はもっと高尚なものであるという。それを分かって、知的雄として生きていくということが素晴らしいことだと気づいたというのだ。僕は、今年30歳になるが、この言葉を聞いて、救われたのだろうか。

  奥田瑛二は、フランス映画好きを自認するが、我慢して観ないといけない重すぎるフランス映画のようにはしたくなかった。フランス映画っぽいんだけど、イギリスの映画監督が撮ったイギリス映画の汗臭さを意識した。奥田瑛二が生まれた愛知県の隣町で「少女」は撮影された。人間にも動脈があるように、映画の中でも動脈がほしかったと語る。それが劇中にでてくる河だ。道を行き交いする人が声をかけられるくらいの街の中に流れる河は、安らぎを与える。アイデンティティーって言葉が流行っていた時に、「アイデンティティーとは、故郷だ。」と言った人がいた。無意識にアイデンティティーを取り戻すためだろうか、奥田瑛二は、故郷で撮影の90%を行った。一度は、東京に出るために捨てた故郷で。故郷っていうのは、厄介だ。好きであろうがなかろうが完全と存在するもの。故郷や国籍とかっていうのは、人間にとってどれほどの意味があるのだろうか?国際人になれと叫ばれて久しいが、よく考えると、日本人であるという意識があるから国際人になれるわけだ。故郷もそうだ。愛知県出身だから東京人になれている。僕も奈良県出身で今は、東京人なのである。奥田瑛二は、発見を繰り返す。陳腐に言えば、自分探し。国、故郷、母親、父親、男、女、愛人、妻、子供、人間ってなんだろうと。文化的情緒が、国や行政などが作った規範で押さえつけられる今の世の中。そんな世の中で何が教えられるのだろうかと奥田瑛二は考える。映画の方法論は、今でこそ有効だと監督をして痛感した。中年の警官と中学生の少女の恋愛寓話は、まさしく今の時代の空気そのものだ。
50歳にして、映画監督。いいじゃないか、知的な雄、奥田瑛二。
モーツアルトのシンフォニーが初めて出版された時は、たったの7歳で、ジョージ・バーナード・ショーは、94歳の時、芝居のひとつが初めて上演された。年なんて関係ないさ。おいくつですか?って聞かれるると、奥田瑛二はこう答えるだろう。「いくつですか??見た目だよ。」って。

 夢については、熱くこう語る。 「夢なんてくそくらえで、志しかないんですよ。夢は必ず実現しちゃうから。志は無限大。 志の低い奴は、顔つき悪いですよね。夢なんて手に入るんだよ。簡単に。夢の向こうに何があるかって、それは、志しかないんだよね。」 カメラマンの原さんが、撮影中に奥田さんに聞いたことが印象的だった。 「奥田さんが、女だったら、奥田瑛二に抱かれますか?」 照れながら腕を組んで奥田さんは、こうつぶやいだ。 「うーん。凄い質問だな。。。だまされちゃってもいいかな。」 僕は、50歳になった時、チャーミングな夢をつかむことができるのだろうか?

(麻布スタジオにて)
| テリー植田 | 映画 | 18:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
2007.12.17 Monday
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